「村田兆治 逮捕」で世の中の反応が二つに分かれるワケ

スポーツ 野球

  • ブックマーク

Advertisement

145キロは投げられるが引退を決意

 まず、引退を決めた理由について。

「僕が引退を決めたのは、7月10日の対近鉄戦でした。この試合は5回を投げて6失点と散々で、6回表、1死も取れずマウンドから下りる時、僕は手をクロスさせてバツのサインを出しました。

 KOされた投手が、マウンドを降りたい、という合図をしたように思われたかもしれませんが、これは『もう自分はプロとしてアカン』というサインだったのです」

 それまで村田氏は45歳までは投げたいと考えていたという。しかしその年の5月頃から、引退の二文字がちらつき始めた。チーム事情でリリーフに回ったものの、失敗が続いた。

 結果、先発に戻ることとなる。

「この時、自分自身の野球生命を賭けたのです。とりあえず2回投げて結論を……と決めました。1回目が7月3日、東京ドームでの日本ハム戦で、この時は、勝つには勝ちましたが、完投できなかった。

 そして7月10日のKOです。賭けの結果が出た訳です。

 完投できなくなったことも引退を決めた理由の一つですが、自分の納得のいく球が投げられなくなったことが、僕にとっては一番大きかった。

 もちろん、今でも145キロぐらいの速球は投げられます。しかし、投げられることと、自分が納得する球が投げられるかどうかは全く別なんです。

 若い頃は、捕手さえいればいいと思っていたこともありました。三振を取ることを生きがいにしてたからです。

 しかし、今は、守備の弱いところに打たせないようなピッチングの組み立てを考えなければならなくなった。

 145キロの速球で空振りさせるか、バットに当てられるか――納得のいく球が投げられなくなった、というのは、そういうことです」

次ページ:マサカリ投法の誕生

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。