渋沢栄一の孫・鮫島純子が語る“百寿”の理由 ウオーキングの方法にコツが

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 100歳を超えても元気に生きる人々――。彼らの生活習慣や人生哲学には、「百寿の奥義」が詰まっているといえるだろう。渋沢栄一の孫娘でありエッセイストの鮫島純子さんは今月末で100歳の誕生日を迎えるという。インタビューから見えてきたものとは。【井上理津子/ノンフィクションライター】

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 鮫島純子(さめじますみこ)さんとお会いしたのは、朝7時半。ご自宅から徒歩5分だという明治神宮の西口付近で。

「今日もね、境内を小一時間ウオーキングしてまいりました。いつもは6時起きですが、今日は特別に5時半に起きましたよ」

 と、にっこりされる。若草色のカットソーに、細身のパンツがお似合いで、背筋がピン。お世辞抜きに70代前半にしか見えないが、今月末に100歳の誕生日を迎える方だ。朝のウォーキングは40年ほど前に夫婦で始め、夫が亡くなった23年前からは一人で歩く。足取りは軽い。

「歩き方にコツがあるんですよ。実はウォーキング中に声をかけてくださった台湾ご出身のお医者様、荘淑キ(そうしゅくき)先生に『姿勢が大事よ』と教えていただきました。顔をやや上に向けて背筋を伸ばし、肩の力を抜いて自然に腕を下ろし、腰を立てて。足は踵から地面に着くようにし、足の裏を踏みしめ、最後に爪先を着地させるんです」

 少しご一緒させてもらったが、スピードもなかなかなら、

「歩け歩けで、大地からの“気”をいただくの」

「拝殿で『……をお願いします』と祈る人が多いようですが、我欲の祈りは幼い時ねえ。『世界人類が平和でありますように』と瞬々お祈りしています」

 口から飛び出す言葉も、長い人生の裏付けがありそうで深い。

「ぜいたくに育ったと思われるかもしれませんが…」

 鮫島さんは『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)などの著作のあるエッセイストだ。実はあの渋沢栄一の孫。渋沢が91歳で他界した時、鮫島さんは9歳。幼い日々に「おじいちゃま」と呼んで接している。大河ドラマ「青天を衝け」の放送以前から度々テレビに出ておられ、記憶する向きも多いかもしれない。

 1922(大正11)年、東京市飛鳥山(現・北区西ヶ原)生まれ。父は栄一の三男の実業家、母は岡山城主分家・池田家の娘。

「ぜいたくに育ったと思われるかもしれませんが、質素倹約の暮らしでした」

 女子学習院に学び、高等科在学中に見合いして卒業するや42(昭和17)年に20歳で結婚したのは、若い男性が次々と兵隊にとられて「男一人に女がトラック一杯」と言われた時代だったから。重工業の会社勤務の夫の赴任地・名古屋で年子の出産・子育て。空襲下、焼夷弾の消火に苦闘し、九死に一生を得た。食料ほか物資が欠乏する戦中戦後、家族の服を手作りし、物を大切に使う工夫をして乗り切ったという。

 鮫島さんならではなのが、「心のあり方」「人生の意味」を探究し続けたこと。24歳の頃から12年間、キリスト教の教会に通い、不惑を前に『神と人間』という本に出会ったのを機に「感謝の言葉には物事を好転させる力がある」など数多の指針を得る。ウオーキング中に聞いた言葉は、その一環だった模様。

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