借金苦から風俗嬢、愛人生活を経て税理士になった女性の告白 「パパ活女子にも納税の大切さを知ってほしい」

  • ブックマーク

Advertisement

ブラック企業からネットワークビジネス、ホストに溺れ…

 2年後、無事に専門学校を卒業し、不動産屋に就職した。月給は25万円。しかし、会社は今でいう「ブラック企業」だった。サービス残業の毎日という激務だった。しかも沖さんは布団の訪問販売に引っかかってしまい、それをきっかけにネットワークビジネスに手を出すようになった。

「その時に『分割払い』というのを教えられ、クレジットカードの便利さにハマっちゃったんです。不動産屋の給料だけでは支払いが追いつかなくなっていって、どんどんカードが増えていきました。丸井カードはもちろん、オリコとかいろいろ……。支払いを延ばしているうちに利息がかさんで、とうとう半年で600万円にまでなってしまったのです。どうにか支払いをしなくちゃいけない。それで歌舞伎町に行くようになったんです。ネットワークビジネスの人脈が欲しくて。新宿に行けばたくさん人がいるだろう、って。それでホストクラブに行き出したのです。それで見事にハマって笑。その時、学生の時から同棲していた彼氏と別れたので、寂しさもありました」

 ミイラ取りがミイラになったようなものである。彼女が通い始めたのは、老舗の有名ホスト店。そこの“羽賀研二”似のホストが彼女のドストレートのタイプだった。手口はいわゆる「ガチ恋」営業、「この仕事を早く辞めて君と結婚したい」だった。

 沖さんはせっせとホストに貢いだ。彼はランキングで3~4位だった。どうしてもナンバーワンにしてあげたかった。 いつかトップを取ったらホストを辞めて結婚する。そう信じたのだ。しかし、会社の給料では足りず、ネットワークビジネスも上手くいかない。借金をしながら、店には「掛け」で通っていた。

 そんな、ある日、ホストからチラシを渡された。

「ここに面接にいっておいでよ」

 チラシにあった番号に連絡をし指定された場所へ向かった。ハードな性風俗店だった。

負のループから抜け出させてくれた男性

 沖さんは経験が豊富というわけではなかった。16歳の時、亡くなった父親の部屋で同級生と初体験を済ませた後は、上京して同棲した彼氏を入れて2人だけ。付き合うと長いタイプだった。だが、愛するホストのため、彼女はそこで働き始めた。

「もちろん、抵抗はすごくありました。でも、面接してくれた男性スタッフに経験がない、と言ったら『とりあえずやってみたら分かるよ』ということで。もう借金、お金のことしか考えられなかった状態で。一人つくと8,000円。会社終わってから行っていたので、遅番で働きました。月に50万は稼げました。でも、それでも全然足りなくて、結局、自己破産したんです。それなのにホスト通いが辞められなくて、今度は闇金から借り入れるようになったんです。そこの闇金業者の人に今度は別の店を紹介されたんですよ」

 そこでは一日3万円で、週に5日働けば月に60万円だった。それでも足りず、スキマ時間でほかのジャンルの性風俗でも働いた。それでも、ホストの売掛の支払いにすら届かない。

 ひたすらお金を追いかけていた負のループから抜け出せたのが「愛人契約」してくれた男性との出会いだった。

「その人、初めて行った風俗店で、初めて会った風俗嬢が私だったのです。『君は“品”がある。こんな場所にいちゃいけない。何か勉強しなさい』って。最初、水揚げを打診されたときは私も半信半疑だったんですけど、闇金の借金200万円、ホストの売掛200万円の全てを支払ってくれました。 住むマンションの他に、月々20万のお手当をくれたんです。それで改心したんです。会計士だったその人に勧められて簿記学校で勉強を始めたんです。 私はもともと数字が好きだったので、税理士になることにしました。その人、最初の2年間は学費も支払ってくれましたし。結局、風俗は20歳前後の1年くらいでやめ、25歳までの5年間は愛人生活をしていましたね 」

 愛人契約を結んだことについては「本当に運が良かった」と振り返るあたり、まったく抵抗がなかったようだ。男性には家庭があり、プライベートとの区別をしっかりつけ、彼女の住まいに入り浸るようなことはなかったという。

「来るのはせいぜい、月に1~2回くらいでしたね。ゴルフに行くとか、そう奥さんに言って来ていたのではないかと思います。本当に良い人に会ったのです」

 税理士事務所で勤務をしながら勉強を続けていたある日、「君はもう大丈夫だね」と告げられ、愛人稼業は卒業となった。その後も沖さんは試験を受け続け、7年かけて税理士の資格を取得。29歳のことだった。その後2社ほど税理士事務所に勤めたのち、36歳で自分の事務所を興した。

 沖さんは「先生」と呼ばれるのがあまり好きではない、という。医師としてそう周囲から呼ばれていた父を家族の立場で見ていた影響が大きいのだろうか。

「仕事の時は仕方がないのですけれど、プライベートでは呼ばれたくないですね……。公私を完璧に切り替えないと、ストレスが溜まっちゃう。独立すると、ずっと経営者モードでいなくてはならないのが辛いんです。とはいえ、ストレス発散のためのホストクラブには、何十年も行っていませんが 笑」

酒井あゆみ(さかい・あゆみ)
福島県生まれ。上京後、18歳で夜の世界に入り、様々な業種を経験。23歳で引退し、作家に。近著に『東京女子サバイバル・ライフ 大不況を生き延びる女たち』ほか、主な著作に『売る男、買う女』『東電OL禁断の25時』など。Twitter: @muchiuna

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。