神戸山口組、池田組、絆會の「3社同盟」結成で、織田代表を狙った菱川ヒットマンの現在は?

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『悲しきヒットマン』のモデル

「逆に仕事に成功していれば、逮捕されても彼は“俺1人でやった”と胸を張ったはずでしょう。反乱行為を犯した敵方のトップのタマを取ったということで、組事(くみごと=組織のために身体を張って仕事をして懲役に行くこと)を十分に果たしたと組織内では評価されますからね」

 しかし、菱川容疑者はヒットマンとしては仕事に失敗している。

「ガードマンしか殺せなかった。この狙撃に関与した面々としては、彼が捜査当局に身柄を取られて“うたう”、つまり筋書きを自供することが怖い。それが粛清の理由にはなるでしょう。そして彼がいないことがわかっているからこそ3社同盟が実現したと考えれば辻褄はあうから、消されたと見る向きがいるわけです」

 非情なことだが、任務に失敗したゆえに消されたというケースは過去にもあった。

 古い話になるが、3代目山口組の田岡一雄組長を狙った鳴海清組員は銃撃に失敗した後、山口組からの報復に耐えかねた鳴海組員が頼った組織から粛清されたといわれている。

思い出される山健組の内紛

「菱川容疑者ならずともヒットマンなら誰でも、この鳴海組員のことは頭にあることでしょう。さらに菱川容疑者にとって、養子縁組をした2代目一勢会の菱川徹会長や初代一勢会の勢昇(せい・のぼる)会長の存在も当然、強く心にあったはずです」

 この勢昇会長とは長らく山口組の顧問弁護士を務めた山之内幸夫氏の著書『悲しきヒットマン』のモデルとされる人物だ。この作品は映画化もされており、ご覧になった方もいることだろう。

「私には勢会長と菱川容疑者がどこか重なって見えます。ヒットマンとして失敗し、その後行方がわからなくなったという点で……」

 少し補足が必要だろう。勢昇会長自らがヒットマンとして関係したのが、「5代目多三郎一家総長殺害事件」として知られる案件だ。

 事件自体は2007年5月に発生。殺害されたのは4代目山健組傘下、5代目多三郎一家の後藤一男総長である。

 この時、実行犯として当時、山健組の若頭を出していた健國会の組員らが逮捕され、さらにその後、殺害を指揮したとして山健組の山本國春若頭(健國会会長)が逮捕された。

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