史上初の「代打逆転満塁サヨナラV決定弾」…脇役が大活躍した優勝決定試合

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「お前が決めろ」

 プロ野球の優勝争いがいよいよ大詰めを迎えている。リーグ優勝決定のヒーローといえば、エースの力投や主砲の一発など、チームの中心選手が活躍するイメージが強いが、時には意外な脇役が一世一代の大仕事を成し遂げることもある。過去の優勝決定試合からファンの記憶に残るヒーローを振り返ってみた。【久保田龍雄/ライター】

 1998年、横浜(現・DeNA)の38年ぶりVを決めたのは、「代打を出されると思った」8番打者・進藤達哉の気迫の一打だった。

 マジック1で迎えた10月8日の阪神戦、1点を追う横浜は8回に3四死球で2死満塁のチャンスをつくる。一打出れば同点、または逆転という重要局面である。

「うわ、大変な場面だな」と次打者・進藤が胸を高鳴らせて打席に向かおうとした直後、権藤博監督が歩み寄ってきた。この日は3打数無安打。「ピンチヒッターか?」と思うのも無理はなかった。だが、指揮官は「お前が決めろ」と激励して送り出した。

 2003年限りで現役を引退した進藤は、当時、筆者の取材に「鮮明な言葉で今でも覚えています。うれしさと大変なところで任されたなという責任感が半分ずつでしたね」と答えている。

“イケるんじゃないか”

 1993年4月16日の阪神戦でもチームの連敗を止めるサヨナラ満塁弾を記録している進藤は、「自分はこういう運を持ってるんだ」と自らに言い聞かせてフルカウントまで粘ったあと、伊藤敦規の外角低め137キロ直球を逆らわずにミート。打球は一、二塁間を破り、4対3と逆転に成功した。

 そして、8回から“大魔神”佐々木主浩が2イニングをゼロに抑え、長年の悲願だった優勝が実現した。

「大洋から横浜に変わった93年ごろから、“30歳になるまでには優勝できるのでは”と感じていました。(自分と)同じ87年夏に甲子園に出た谷繁、石井(琢朗)、野村(弘樹)がいて、佐々木さんが入ってきて、斎藤(隆)、波留(敏夫)、佐伯が入ってきたあたりから、“イケるんじゃないか”というムードになりました」

 そんな進藤の6年越しの思いが結実したのは、くしくも29歳のときだった。

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