エリザベス女王が乗った「新幹線」が遅延危機… 「皇室・王室」が抱く鉄道へのご関心

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 9月8日、イギリスのエリザベス女王が死去した。女王の国葬は19日に執り行われる予定だが、日本からは天皇・皇后両陛下が参列する。

 日英両国は皇室・王室制度が大半の国民から支持を得ているという点で共通しているが、皇室・王室が鉄道に高い関心を示している点でも共通している。

 イギリスは言うまでもなく鉄道発祥の地。鉄道の登場によって産業構造や経済が大きく変化し、近代化の旗手ともいえるインフラになった。いわば、鉄道は国家繁栄の象徴といえる。そうした背景から皇室や王室が、鉄道に対して興味を示すことは不思議な話ではない。

 エリザベス女王は日本の高速鉄道、つまり新幹線にも早くから興味を示していた。1975年、女王は夫・フィリップ殿下を伴って国賓として来日。これは、1971年に昭和天皇が香淳皇后とともに訪英したことへの答礼訪問だった。

 来日後、女王は慌ただしく親善行事などをこなした。その後、女王は関西へと向かうスケジュールが組まれていた。女王が来日した時、私鉄各社がストを決行中だった。女王一行は羽田空港から自動車で都内を移動したこともあり、日程に支障をきたさなかった。問題は、その翌日から国鉄が歩調を合わせてストを決行すると事前に予告されていたことだった。

 国鉄のストと私鉄のストでは、その影響力は比べ物にならない。国鉄は全国に路線網を有する。国鉄がストを決行すれば、日本の大動脈でもある東海道・山陽新幹線も運行を停止する。

 当初、女王は東海道新幹線で関西へと移動する予定だった。国鉄にとって、女王が新幹線に乗車することは晴れ舞台でもあった。そして、それは日本の全鉄道マンにとって最高の栄誉になるとも思われていた。

 運輸省(現・国土交通省)や国鉄はタイムリミットのギリギリまでスト回避を模索するが、話し合いはまとまらない。最終的に国鉄が出した結論は、組合員ではない幹部だけで新幹線を動かす――というウルトラCだった。

 苦渋の決断を下した国鉄に対して、監督官庁の運輸省はクビを縦に振らなかった。スト中に新幹線を走らせれば、思わぬ事故を起こす可能性がある。運輸省は、そんな危惧を抱いていたのかもしれない。鉄道は、万が一にも事故を起こしてはならないのだ。

 また、イギリス側からも「スト中にもかかわらず、特別に新幹線を運行するようなことは避けてほしい」との意向を伝えられていた。

 日本では高度経済成長期に労働運動が盛んになり、公共交通機関のストが頻発した。その反動から、昨今は労働運動が嫌悪される風潮にある。しかし、ストをはじめとする労働運動は労働者の権利であり、それはイギリスでは十分に理解されている。女王もストに理解を示し、新幹線の乗車は見送られた。

女王を乗せた新幹線が遅延危機…

 女王の新幹線乗車が中止に決まった一方で、国鉄上層部はスト解除に向けての交渉を継続していた。そのため、女王が東京を離れた日の夕方にストは解除される。

 飛行機で関西に降り立った女王一行は、東京と同じく親善行事をこなした。そして、その後は近畿日本鉄道(近鉄)で京都、奈良を巡り、三重県の伊勢神宮や鳥羽も訪問。

 近鉄の沿線には、伊勢神宮・橿原神宮・熱田神宮などのほか、皇室にまつわる名所・旧跡が点在している。そうした沿線概況もあり、近鉄は天皇や皇族といった高貴な人たちが乗る特別列車を有している。

 そのほか、伊勢神宮の玄関駅でもある宇治山田駅をはじめ、貴賓室を備えた駅を多く抱える。それだけに、近鉄は女王一行を送迎するノウハウは十分に有していた。

 三重県から名古屋へと移動した女王一行は、名古屋駅から東京へと戻る道中でメインイベントともいえる新幹線に乗車した。女王一行は名古屋駅の貴賓室で乗車予定の新幹線を待つ予定にしていたが、女王の「新幹線がホームに入線するところを見てみたい」とのリクエストから、早めにホームへと向かった。入線シーンを見たいと希望するあたり、女王が新幹線に高い興味を示していたことが窺える。

 もちろん急なスケジュール変更にあたり、警備関係者・国鉄関係者は万全の準備を整えている。

 女王一行の荷物が大量だったため、その積み込みに時間を要した。女王を乗せた新幹線は定刻から約3分遅れで名古屋駅を発車。その後は快調に走行したが、国鉄関係者は女王に富士山を堪能してもらおうと考えていた。そのため、富士山が見える区間で減速するという粋なはからいを見せている。

 しかし、この減速が時間に正確といわれる新幹線のダイヤを厳しくさせた。減速したことにより、女王を乗せた新幹線は定刻よりも遅れての運行を余儀なくされた。こうした理由から、国鉄幹部は東京駅到着が予定時刻よりも遅れることを覚悟する。

 わずか数分の遅れは諸外国だったら誤差の範囲内で、定刻で済ませてしまうレベルと言える。しかし、時間に厳しい日本の鉄道は数分の遅れでも神経質になる。

 まして、国鉄幹部は「新幹線は時計よりも正確だ、と聞いています」との言葉を乗車前に女王からかけられていた。それだけに定刻通りの到着には相当なこだわりがあったはずで、遅れることは国鉄の沽券にも関わる話でもあった。

 鉄道に詳しくない人なら、新幹線のスピードを上げて遅れを取り戻せばいいと考えるかもしれない。しかし、現実は甘くない。当時の東海道新幹線はATCと呼ばれる自動列車制御装置が導入されており、最高時速が210キロメートルに達すると強制的に減速する仕組みになっていた。制限速度を超過してしまうと、逆に遅れが拡大してしまうのだ。

 定刻での到着を求められた運転士へのプレッシャーは計り知れないが、そんな重圧の中でも運転士はATCが作動しない制限速度ギリギリで運行を続け、東京駅には定刻通りに到着させた。これには、国鉄幹部も胸を撫で下ろしたことだろう。

 新幹線に初乗車したエピソードからも、女王が鉄道に高い関心を寄せていたことが伝わってくる。他方で、日本の皇室にも鉄道に高い関心を示すエピソードが豊富にある。

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