「鉄の女」はファザコンだった!? 英国初の女性首相サッチャーを鍛えたスパルタ父親

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 93年前の今日、1925年10月13日に、イギリス初の女性首相となるマーガレット・サッチャーは生まれた。1979年に首相に就任すると、1990年まで11年間もの長期政権を築いた立志伝中の人物だ。

 その強硬な政治姿勢で、ソ連国防省の機関紙から、「鉄の女」という異名を付けられた彼女は、じつは厳格な父親にスパルタ教育を施された優等生で、強いファーザー・コンプレックスの持ち主だった。

 冨田浩司さんの新刊『マーガレット・サッチャー―政治を変えた「鉄の女」―』(新潮選書)には、サッチャーの生い立ちからから名門オックスフォード大学への進学、そして政治家となり権力の頂点に昇り詰める過程が詳しく描かれている。

 以下、サッチャーのファザコンぶりを、同書から抜粋して見てみよう。

父親はやり手の食料品店経営者

「私は、実用的で、真剣で、熱烈に宗教的な家庭に生まれた」

 サッチャーは回想録の中でグランサムでの生い立ちを振り返りこう記した。この一文は彼女が育った家庭環境を簡潔に要約している。

 アルフ・ロバーツはリンカンシャー州の隣、ノーサンプトンシャー州で代々靴づくりを営む家に生まれたが、小学校を出ると貧しさに追われるように家を出る。そしていくつかの職を転々とした後、第1次大戦前夜、グランサムに移り住み、食料品店の経営を始めた。数年後教会の活動を通じて知り合ったベアトリスと結婚、1921年に長女のミュリエルが生まれている。次女のマーガレットが生まれた1925年には店舗を拡大し、その後地元の名士としての地位を確立していく。

 職住一体の生活環境――サッチャーの表現を借りれば、「店の上の暮らし(life over the shop)」――は誰もが常に何かの仕事をしている、慌ただしさに満ちていた。サッチャーも物心がついた頃から、大きな袋で店に届いた紅茶や砂糖を秤で測って小分けするなど、店の手伝いに追われる。こうした暮しぶりは、勤勉、倹約など、サッチャーが後年強調する価値観を体現したものと言える。しかし、彼女の政治信念の土台となる倫理的羅針盤を形作ったのは、何と言っても信仰との出会いである。

信仰に明け暮れた生活

 サッチャーはロバーツ家の生活を「メソジズムを中心に回っていた」と回想したが、これは誇張ではない。安息日である日曜日には、家族で朝の礼拝に参列するのに加え、アルフとベアトリスは夕方の礼拝も欠かさなかった。ミュリエル、マーガレットの姉妹には礼拝に加えて午前と午後の2回、日曜学校が待っている。12歳になると、マーガレットにはさらに子供たちの讃美歌を伴奏するためオルガンを弾く仕事が加わった。こうした信仰漬けの長い一日が終わると、その日教会で説教を行った関係者をロバーツ家に招き、夕食を食べながら宗教に関する議論が行われたこともあったと言うから、まさに信仰に明け、信仰に暮れる生活である。

 こうした生活は現代の感覚からはやや常軌を逸したものに見えるかもしれない。サッチャー自身、後年テレビ・インタビューで当時の宗教への傾倒が少し行き過ぎだったかもしれないと漏らしており、自分の子供たちには信仰を強制することはなかった。 しかし、ロバーツ家の信仰生活は敬虔なメソジストの当時の基準に照らせば決して異常なものとは言えない。

「すべてのことは父のおかげです」

 彼女の信仰を政治信念に昇華させる触媒の役割を果たしたのは、父アルフの薫陶である。

 1979年5月、バッキンガム宮殿で女王から首相に親任された後、ダウニング街の官邸の入り口に立ったサッチャーはある記者から婦人参政権運動の先駆者であったパンクハースト夫人に関する感想を求められた。この質問の狙いは女性初の首相就任の歴史的意義についてコメントを引き出そうとしたものであるが、サッチャーはそれを無視するかのように父アルフへの感謝の気持ちを述べる。

「ほとんどすべてのことは父のおかげです。(中略)彼は私が今信じているすべてのことを信じるように育ててくれました。(中略)小さな町の、つつましい家庭で学んだこと、まさにそのことが選挙に勝たせてくれたことを大変興味深く感じています」

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