「アッコにおまかせ!」37年目にして訪れた重大な危機

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オープニングに変化

 フジも「ドレミファドン!」の後に、加藤茶と逸見政孝のバラエティ「いつみ・加トちゃんのWA-ッと集まれ!!」を放送するも半年(88年4月~9月)で終わった。あのSMAPのテレビ初レギュラー番組だったがダメだった。上岡龍太郎が本格的に東京に進出した番組「上岡龍太郎のもうダマされないぞ!」(90年2月~10月)、その後の「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」(90年10月~96年10月)が話題になったが、計6年半で終わった。

「和田が所属するホリプロが『アッコにおまかせ!』で企画協力しているように、フジの日曜昼はホリプロのライバルである渡辺プロダクションの制作枠で、現在放送中の『なりゆき街道旅』(12:00~14:00)まで代々続いています。ですから、どちらも譲れない熾烈な闘いとなっています」

 そんな中、「アッコにおまかせ!」の視聴率が落ち始めたわけである。

「以前のオープニングは“今日も元気な生放送! 『アッコにおまかせ!』”と和田さんのピースサインの後に、彼女のトークがありました。最近はタイトルコールの後、すぐにニュースランキングのVTRに行ってしまいます。延々とVTRが続いて、スタジオに降りてくるのは12時過ぎ。これでは、平日朝昼のワイドショーと変わりません。この番組は、和田さんが言いたい放題で、勝俣州和や松村邦洋ら“子分”たちに同意を求め、周囲があたふたするのがお約束で、会社や学校の人間関係を見るような面白さがウリだったはずですが……」

お誕生日会が開けない

 2000年代に入ると、和田のご意見番ぶりが批判され始めた。

「最近は何でもSNSやネット記事の俎上に載せられてしまうので、和田さんの言い方もパワハラと受け取られかねない。毒舌が鳴りを潜めたことで、他の番組との差別化が図れなくなっています」

 言いたい放題の中には、和田独自のオフレコ情報もあった。

「コロナ禍の影響で、恐怖の年中行事となっていた和田さんの“お誕生日会”はじめ、あびる優や安田美沙子ら子分格の女性タレントとの飲み会“和田会”も久しく開かれていないので、情報を得る機会も失われているようです」

 もっとも、芸能情報なら“ガーシー”議員もいることだし、TwitterやInstagramにも転がっている時代となった。

「なにより和田さんのトークの歯切れが悪くなりました」

 まあ、古稀も過ぎれば仕方がないだろう。

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