新しい警察庁長官に受難の予兆 早くも「20年前の悪夢再来」と噂される不祥事地獄の始まり

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大阪では過去に署から脱走も

 同じ大阪では、2018年に富田林署に勾留中、面会室で弁護士と接見後、室内の仕切り板を壊して外へと逃走した容疑者がいた。留置場での不祥事でいえば、2012年には尼崎市で起きた連続変死事件で主犯と見られる女性が兵庫県警本部の留置場で自殺したことも。この時も多くの批判にさらされたのだった。

「安倍氏の悲劇は、警備する側に“どうせ起こらないだろう”という気持ちがあったからと指摘されています。実際、話を聞いた当局の人たちも、そのように認めていました。安倍氏の事件と警察署や留置場での問題を同列に論じるのは乱暴かもしれませんが、過去の反省が生かされず、今もなお過信や隠蔽の体質がはびこっていることをうかがわせます」(同)

 さらに、警察当局の間では「約20年前の悪夢の再来」ではないか、と今回の件が語られはじめているという。

「2000年1月に長官に就いた田中節夫氏は2002年8月に退任するまで、不祥事対応に追われました。それ以来、就任当初から不祥事に見舞われた長官はそれに苦しみ続けるというジンクスが一部にあるのです」(先のデスク)

桶川ストーカー事件も

 当時の「悪夢」のほんの一部を列挙してみると、以下の通りだ。

・新潟県で女性監禁事件が発覚した際、県警本部長らが本部に戻らず温泉旅館で酒席やマージャンに興じていた(2000年2月)

・千葉の警察署で拘置中の女性に巡査長がわいせつ行為を働く。同じ署の巡査部長は、この女性の覚醒剤使用を知りながら通報していなかった(2000年3月)

・沖縄県警で飲酒運転の検知管のデータが変造された(2000年4月)

・埼玉の警察署の署員が、拘置中の男女を面会させるなど便宜供与を図った(2000年12月)

・神奈川県警で、銃器対策課の巡査部長が捜査情報を漏洩する見返りに暴力団員から金銭を受け取っていた(2001年8月)

「この他に下着ドロボーとか細かなものを挙げればキリがなく、神奈川と富山の両県警トップが“覚醒剤もみ消し事件”で有罪判決を受けたのも田中長官時代。また後に“桶川ストーカー事件”と広く知られるようになる事件で、殺害された女子大生への警察のずさんな対応も大きな批判を浴びました」(同)

 不祥事のたびに田中長官は国会に呼ばれて釈明し、定例会見ではある県警を名指しして「問題が多すぎる」と訴えたこともあった。

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