統一協会「文鮮明」を無理やり入国させた金丸信の大罪 今なら政権が吹っ飛ぶ大スキャンダル

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金丸訪朝団の“暴走”

 金日成と密談するほどの信頼関係を構築したとも言える。実際、金丸訪朝団によって、与党・自民党と北朝鮮との間にパイプが生まれたと評価する関係者もいる。

 だが、拳銃を使ったテロ行為は言語道断だとしても、右翼団体の批判も決して的外れではなかった。

 何しろ共同宣言の内容を把握した外務省も、金丸訪朝団の“暴走”に慌てたようなのだ。

 共同宣言が調印されたのは1990年9月28日。読売新聞は翌29日、「日朝三党共同宣言の『戦後の償い』には応じられぬ/外務省筋言明」の記事を朝刊に掲載した。

「記事では《外務省筋》が『植民地時代の償いは当然だが、戦後の償いには応じられない』とコメントしています。外務省が読売新聞に記事を書かせ、金丸さんを牽制したのでしょう」(同・記者)

 そして金丸訪朝団の余波が覚めやらぬ91年12月、金日成は文鮮明とも会談し、日韓の関係者を驚かせた。

「統一教会は共産主義の打倒を重要な目標に掲げています。ところが、“国際勝共連合”を創設した文鮮明が、共産主義国家である北朝鮮を訪問。金日成との3時間に及ぶ会談を経て、統一教会による経済協力を約束したのです。日韓の関係者が驚いたのは当然でしょう」(同・記者)

 狙撃事件が起きたのは翌92年3月。そして4月、金丸は都内で文鮮明と会談を持った。これが実は大問題だったのだ。

金丸の圧力

 文鮮明は3月26日に来日したが、本来なら入国は許可されない。この問題をいち早く詳報したのが週刊新潮だった。

 同誌4月9日号に掲載された「文鮮明来日を画策した『金丸』の深謀遠慮」から、一部を紹介しよう。

 記事の冒頭、法務省関係者が《「実は、文氏の入国許可を巡って、法務省と自民党議員の間でゴタゴタがあったんですよ」》と明かす。

《「文氏はアメリカで脱税の罪に問われ、1982年に懲役1年6カ月の有罪判決を受け、服役もしており、入管法の規定では上陸を許可されていない人物なんですよ。それに、79年に入国申請が出された時にも、統一教会の霊感商法や合同結婚式の問題があって不許可になっている。ところが、今回だけ法務大臣の特別許可がいとも簡単に降りたのは、裏で自民党議員の強い圧力があったためなんです」》

 文鮮明を招いたのは、自民党議員の有志が結成した「北東アジアの平和を考える国会議員の会」というグループ。週刊新潮は、そのバックに金丸がいるとする関係者の指摘を紹介している。

《「法務省に圧力をかけたのも彼だし、今回の文鮮明来日の本当の目的も、金丸さんとの秘密会談にあるんだ。北朝鮮の問題について、今後、手を組んでやっていく相談のために金丸さんが呼んだんだよ」》

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