【終戦記念日】「僕には畑中少佐の気持ちがよく分かった」 俳優「黒沢年雄」が明かす「日本のいちばん長い日」撮影秘話

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ウルトラセブンの主演を断って

 第二次大戦の終戦に至る“前夜”にスポットライトを当てた、1967年公開の大作映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)。昨年1月には、原作者の半藤一利氏が鬼籍に入ったが、昭和の名優が勢ぞろいした本作の魅力は、令和のいまも損なわれてはいない。この映画で、戦争終結に反対する青年将校を演じたのが俳優・黒沢年雄(78)。デビュー3年目の23歳だった黒沢は、数多の銀幕スターと肩を並べ、迫真の演技で観衆を魅了した。映画史に残る歴史大作の裏舞台を黒沢が振り返る。(前編/後編の「後編」)

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 プロデューサーの藤本真澄さんは「日本のいちばん長い日」を撮影する前に、僕にこう言ってくれました。「映画の宣伝でトップに名前が挙がるのは三船(敏郎)だ。でも、この映画の主役はお前だからな」、と。藤本さんが僕を買ってくれていたのは間違いないと思います。ちょうどその頃、東宝と結びつきの強かった円谷プロが「ウルトラセブン」の主演を探していて、僕の名前も挙がっていたそうです。でも、藤本さんは、「黒沢は本格俳優として大成させたい」と断ってくれた。そういう流れがあって、僕が「日本のいちばん長い日」に出演することになったんです。

〈「日本のいちばん長い日」は、庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」にも影響を与えたとされる。実際、ポツダム宣言を巡って激しい議論を続ける閣僚たちの姿は、ゴジラ相手に奮闘する政治家や官僚たちと重なる。一方で、「日本のいちばん長い日」において、もうひとつのストーリーの軸となっているのは、黒沢演じる畑中健二少佐に他ならない。降伏に反対してクーデター未遂事件(宮城事件)を起こす畑中少佐は、プロデューサーの藤本氏が語ったように“主役”と呼べるだろう〉

 もちろん、閣僚たちのやり取りも見どころなんですが、畑中少佐の動きを追うことで、この映画の「物語」が分かるわけです。藤本さんはそういう意味も込めて、畑中少佐役の僕を“主役”と言ってくれたんだと思います。

撮影には、相手を殺す気で臨んだ

 畑中少佐を演じているときの目つきを見てもらえれば分かると思いますが、僕は本当に相手を殺す気でいましたよ。だって、畑中少佐は最後に自決することを覚悟してクーデター事件を起こすわけだからね。共演者とやり合う時も常に全力でぶつかっていたので、“おい、お前のは演技じゃない! そこまで本気でやったらケガするぞ!”と叱られたこともあった。ただ、演技力では共演した先輩方に敵いっこない。常に全力で撮影に臨もう、畑中少佐と同じく最後まで死ぬ気でやり切ろう、という気持ちだけでした。馬に乗るシーンでは何度も振り落とされましたけど、全く平気だったね。

 それに、当時の僕には畑中少佐の気持ちがよく分かったんです。彼の場合は、自分を戦争に駆り立てた大人たちが、いきなり降伏を受け容れると言い出した。それに対する反発ですよね。終戦に反対してクーデターを起こすなんて、いまの感覚からすると狂気と言われても仕方ないけれど、僕には最後まで真っすぐで“純粋”な存在に思えました。

 一方の僕は、内職しながら学費を払ってくれた母親が高校1年生の時に亡くなり、それまで打ち込んでいた野球部を辞めてからは自暴自棄になって、ケンカに明け暮れる時期を過ごしたこともありました。東宝に入ってからも“お前みたいな顔じゃスターにはなれない”と散々言われましたよ。実際、東宝のオーディションには僕とは似ても似つかない、お坊ちゃん育ちの品の良い二枚目ばかり集まっていた。貧乏な生い立ちを含めて、とにかくコンプレックスの塊でした。だからこそ、不公平な社会に対する怒りが常にあった。それが畑中少佐を演じる上でのエネルギーになっていました。後になって、松方弘樹さんと小林旭さんという当時のスターふたりが、僕の演技を観て「凄い俳優が出てきたな」と驚いたと聞いてね。それは本当に嬉しかったですね。

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