菅前総理が明かす安倍元総理との“最後の会話” 一番の思い出は「二十数年前にもらった電話」

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 第1次政権も含めれば、実に8年8カ月もの長期にわたり、権力の座に居続けた安倍晋三元総理(享年67)。死してなお同氏の業績への評価は賛否相半ばするが、政治家「安倍晋三」を最も近い場所で見てきた“盟友”が、その横顔を語り尽くした。

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「菅ちゃん、参院選が終わったら、またゴルフでも行こうよ」

 参院選が始まる前、安倍さんからそう誘っていただいて、具体的な日程まで、すでに決めていたんですよ。

〈そう語り始めたのは、2012年12月に発足した第2次安倍政権以降、7年8カ月にわたり官房長官を務めた菅義偉前総理(73)である。

 女房役として、また後継者として安倍晋三元総理を陰に陽に支えた菅氏が今、安倍元総理と過ごした日々を振り返る。〉

 私が安倍さんと最後にゴルフに行ったのは、私が官房長官に就任する前のこと。第2次政権が発足した後は、それこそ毎日顔を合わせていましたが、それはあくまでも総理と官房長官として打ち合わせをするため。政権発足以来、ゴルフはおろか二人きりでゆっくり食事をするということもありませんでした。

 安倍さんには前からゴルフに誘ってもらっていたんですが、なかなか予定が合わず、参院選の後にやりましょうと。実現していれば、10年くらいぶりのことだった。なのに、あんなことが起きるとは……本当に残念でなりません。

「右胸であってほしい」と願ったが…

〈7月8日、奈良県内で参院選候補者の応援演説をしていた最中、凶弾に斃(たお)れた安倍元総理。事件当時、菅氏も選挙応援のために全国を飛び回っていた。〉

 安倍さんが撃たれた当時、私は沖縄県で応援演説が予定されていたため、車で羽田空港に移動しているところだった。事件の第一報も、その車の中で受けました。

 そこからは私もいろんなところに確認の電話をしましたし、私から情報を得ようとする記者や関係者からの電話も引っ切りなしに鳴り続けていた。胸を撃たれたということでしたから、せめて心臓がある左胸ではなく右胸であってほしいと願いましたが、確認を進めると撃たれたのは左だという。その時点で私は、なかなかきついのかなと、最悪の事態も覚悟していました。

 少し時間を置いてから、閣僚や党役員が自民党本部に招集されたという情報が入ってきた。党としてその日の選挙活動も休止することに決めたといいます。私は安倍さんのそばにいたいと思い、急遽、奈良に向かうため東京駅に行き先を変更。新幹線に飛び乗ったのです。安倍さんは優しくて、いつでも周りには仲間がいて、でも、寂しがる人だった。そんな安倍さんの隣にいてやりたい、そう思ったんです。

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