菅前総理が明かす安倍元総理との“最後の会話” 一番の思い出は「二十数年前にもらった電話」

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7年以上、毎日1回は必ず会うように

〈第2次安倍政権では官房長官に任命された菅氏。政権はその後、2度の衆院総選挙を制し、菅氏の官房長官任期も第4次安倍政権まで続いた。

 安倍元総理が憲政史上最長の在任日数を記録した背景に、菅氏との“あうんの呼吸”があったことはよく知られている。〉

 私が官房長官を務めた7年8カ月、安倍さんとは毎日1回は必ず会うようにしていました。何もなくても1回はやりましょうということで、お茶を飲みながら本当によく話しましたよ。

 もちろん、意見が割れることもありました。

 例えば、13年2月、第2次安倍政権の発足後、初めて安倍さんが訪米したときもそう。あのときはアメリカから、TPP交渉への参加、離婚後外国への子どもの連れ去りを規制するハーグ条約の批准、沖縄県への辺野古沖の埋め立て申請と、三つの要請があったんです。ただ、当時、国内は参院選を目前に控えた時期でしたから、党内ではTPPなど国論を二分しかねない問題は後回しにしたいという思惑もあった。

「大抵、安倍さんの方が正しかった」

 私はそういう党内の情勢を安倍さんに伝え“議論は参院選の後でもいいのではないか”と提案したのですが、安倍さんは“どうせやるなら早い方がいい”と。結果、日本はTPPの成立に向けた議論で主導権を握ることができたのです。

 こんなふうに、意見が割れることはあっても、大抵、安倍さんの方が正しかった。何より安倍さんは総理でしたから、私も安倍さんの考えを尊重していましたね。

〈長期安定に見えた政権は、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった20年9月に、安倍元総理の突然の辞意表明によって幕を下ろす。理由は総理の体調不良であった。〉

 お辞めになる直前は、もう肩で息をしておられましたから、相当きついんだろうと心配していました。私の方からも連日“早くご自宅に帰ってください”とお願いしていたのですが、安倍さんは真面目だからなかなか仕事を止めない。

 辞任については事前に相談はありませんでしたが、毎日会っていますからなんとなく雰囲気で分かってはいました。

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