神田沙也加さんの遺骨を松田聖子が持ち帰った理由 長年愛情を注いだ祖母の存在が【スクープその後】

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 神田沙也加さんが35歳の若さでこの世を去ってから7カ月以上が経った。葬儀の際話題となったのは、遺骨を持ち帰ったのが、生前確執があるとされた母・松田聖子だったことだ。6月から再開した全国ツアーで沙也加さんのデビュー曲を歌い、「彼女を思わない時間はありません」と語った聖子の現在の心境とは――。

(以下、「週刊新潮」2022年1月13日号の記事に加筆・修正しました)

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 雪に覆われた街を抜け、昨年12月21日午後、北海道・札幌市郊外に建つ里塚斎場へと入った霊柩車の助手席には、松田聖子(60)が座っていた。彼女の手には一人娘で、35歳の若さで旅立ってしまった神田沙也加の名が刻まれた位牌があった。

 火葬が終わった後、骨壺を抱えた神田正輝(71)は、

「近親者のみでお別れをして、お骨にすることができました」

 と話し、彼の傍らで位牌を手にした聖子は、

「本当に皆さま、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」

 と、ふりしぼるような声を出して頭を下げた。

 24年前の離婚以来、二人だけでカメラの前に並び言葉を発したことはなかった。奇しくも娘の死で顔を合わせることになってしまったわけだが、元夫より一足先に羽田へと降り立った聖子は、胸元に骨壺を抱き、迎えの車に乗り込んだ。報道陣の前では神田が手にしていた骨壺を、なぜ彼女が一人持ち帰ることになったのだろうか。

紅白辞退の舞台裏

 振り返れば、主演を務める舞台「マイ・フェア・レディ」の公演で北海道に滞在していた沙也加は、18日、札幌市内中心部に建つホテルの高層階から転落死した。急逝の一報を受けて、共演していた俳優の前山剛久(31)が、彼女と結婚を前提に交際していた旨を明らかにしたが、騒動は思わぬところに飛び火する。

 沙也加が命を絶った要因の一つに、前山が元カノと関係を続けていたことに悩んでいたと「週刊文春」が報じ、ネットを中心に沙也加へ同情を寄せる声と前山へのバッシングが巻き起こったのだ。予期せぬ娘の死と世の喧噪に、最も心を痛めているのは他ならぬ神田と聖子に違いない。

 沙也加の所属事務所は、〈転落の原因につきましては、神田(沙也加)本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら〉とした上で、〈突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております〉とのコメントを発表。聖子も年末恒例のディナーショーを中止し、25回目となるNHK紅白歌合戦への出場も辞退するに至ったのだ。

 スポーツ紙の芸能記者によれば、

「NHKに対しては回答を留保しつつも、聖子さんはクリスマスイブの段階まで紅白出場の意思を持っていたそうです。沙也加さんの訃報で紅白の曲目発表などが延期されましたし、出演しないと秒刻みで組まれている紅白の進行に穴を開けてしまう。プロとして“娘のためにも、私がしっかり歌わなければ”と、自分を鼓舞していたそうです」

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