幻に終わった「ドリル優子」の完全復活 改めて注目される茂木幹事長vs.小渕後見人

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 ドリル優子、完全復活ならず──。自民党総裁の岸田文雄首相(65)は8月10日、内閣改造と党役員人事を行った。実は永田町で、小渕優子氏(48)の処遇が注目を集めていたのだ。

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 何しろ「入閣しない」という速報も配信されたほどだった。FNNプライムオンラインは9日、「【速報】“焦点”小渕優子氏は入閣見送り あす内閣改造 大詰め調整」との記事を配信した。

 結果は「自民党組織運動本部長」の続投で落ち着いた。まさに“大山鳴動して鼠一匹”という印象だが、一体何が起きていたのか、大手メディアの報道では全く分からない。

 そこで改めて詳細をお伝えしよう。まずは“端緒”について担当記者が解説する。

「新聞各紙の『首相動静』を見ると、岸田首相は8月3日の午後6時20分から、東京・虎ノ門のThe Okura Tokyo(註:旧・ホテルオークラ東京)の日本料理店で会食を行いました。そこに参加した政界関係者に注目が集まったのです」

 岸田首相と会食を共にしたのは、森喜朗元首相(85)、“参院のドン”と呼ばれた青木幹雄・元自民党参院議員会長(88)、遠藤利明選対委員長(72)──そして、小渕氏だった。

会食の真相

 読売新聞と産経新聞は「首相動静」だけでなく、別記事まで掲載した。

 見出しは「森元首相らと会食」(読売)、「首相が森元首相らと会食」(産経)。会食の様子は、産経が《内閣改造・党役員人事に向けて意見を交わしたとみられる》と報じた。

 記事が掲載された翌5日、岸田首相が10日に内閣改造と党役員人事を行うと報じられたのだが、会食では《意見を交わした》どころか、もっと突っ込んだやり取りが行われていたという。

 その様子をお伝えする前に、自民党の派閥「平成研究会(平成研)」の歴史を確認しておこう。

「1985年、竹下登さん(1924〜2000)が田中角栄さん(1918〜1993)に反旗を翻す形で、勉強会という位置づけの『創政会』を設立しました。そして87年に新派閥の『経世会』が誕生し、実質的に田中派は竹下派となったのです。94年には党内の派閥解消の流れに連動して経世会は解散し、政策集団『平成政治研究会』が発足。その後、現在の『平成研究会』に名称を改めました」(同・記者)

 現在、平成研トップは茂木敏充幹事長(66)だ。そのため平成研は、茂木派とも呼ばれている。

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