幻に終わった「ドリル優子」の完全復活 改めて注目される茂木幹事長vs.小渕後見人

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入閣を依頼

 小渕氏の父である小渕恵三元首相(1937〜2000)は、平成研の第3代会長。青木氏も会の重鎮として君臨し、小渕内閣では官房長官を務めた。

 更に青木氏は2000年、小渕首相が病に倒れると首相代理を務め、内閣総辞職を決定。森氏が次期首相となる橋渡しを行った。

 こんな面々が集まり、なおかつ小渕元首相の次女である優子氏も列席したわけだ。永田町が色めき立つのは当然だと言える。

 自民党の国会議員は、「あの会食で、青木さんは岸田さんに『小渕優子の入閣をよろしくお願いします』と依頼したのです」と明かす。

「青木さんは昔から、『平成研は将来、小渕優子がトップになるべき』という考えを持っています。一方、現会長の茂木さんには、良い印象は持っていません。『自分のことしか考えていないし、派閥の継承も認めていないぞ』というわけです」

 青木幹雄という名前を聞いても、「もう過去の人じゃないか」と思う向きもあるだろう。だが、依然として平成研の参議院議員には強い影響力を持っているという。

「ドリル優子」の誕生

 岸田首相としても“参院のドン”から直々に依頼されれば、無下に断るわけにもいかない。しかしながら、小渕氏の入閣にはかなりのハードルがある。

「週刊新潮は2014年、小渕さんに関する政治資金規正法違反をスクープしました。当時、小渕さんは経済産業大臣でしたが、辞任に追い込まれました。また週刊新潮は、証拠隠滅のため、事務所のパソコンのハードディスクが電動ドリルを使って穴を開けられたことも報じました。この反響は大きく、ネット上では『ドリル優子』という“あだ名”が流布したほどです」(前出の記者)

 政治資金の問題が依然として入閣のハードルとなっている理由は、その責任を取って経産相は辞任したものの、小渕氏は今に至るまで有権者への説明を行っていないからだ。

「2015年には元秘書の刑事裁判が東京地裁で開かれましたが、小渕さんは『裁判の行方を見守りたい』というコメントを出しただけでした。このコメントにも、産経新聞が社説で《ひとごとのよう》と批判し、説明責任を果たせと求めました」(同・記者)

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