芸能界でケンカが一番強い男は誰か? 昭和と現在で考えてみると

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昭和期最強は渡瀬恒彦さん

 次に昭和期の最強は誰だったのか。故・渡瀬恒彦さん(2017年没、享年72)ではないか。東映の先輩だった故・梅宮辰夫さんも渡瀬さんが最強であるとのお墨付きを与えていた。

 渡瀬さんは中学3年生の時に柔道の有段者になり、高校では水泳部に所属。運動神経抜群と評判だった。早大時代には空手部に入り、2段に。会社員を経て1969年に東映入りすると、最強ぶりを発揮し始める。

 渡瀬さんが生意気だと東映の先輩俳優の間で評判になり、元ヘビー級キックボクサーの故・安岡力也さんが代表となって締め上げようとしたところ、渡瀬さんはいきなり力也さんの顔面に正拳突きを食らわせた。そこで勝負は付いた。

 渡瀬さんは自分が締め上げられるのは嫌がったが、後輩は締めた。「生意気だ」として殴られた俳優は数え切れない。故・松田優作さん、小沢仁志、現在最強の本宮……。舘ひろし(72)とクールスの面々はやっぱり生意気だという理由で殴られた後に川に突き落とされたというから、災難である。東映内では「恒さんを怒らせちゃいけない」という不文律があったそうだ。

 ほかにも渡瀬さんは人間離れした武勇伝の数々を残した。
「同じ店で飲んでいた数人の不良に絡まると、表に連れ出し、コテンパンにした後、何食わぬ顔で再び飲み始めた」
「4人のヤクザを5分で叩きのめした」
「3人の米兵を倒した」

強さの秘密は人並み外れた胆力

 どうして滅法強かったのか。柔道と空手の有段者で運動神経が良かったからだけでなく、人並み外れた度胸があったからではないか。ケンカはスポーツと違い、胆力が大きくものを言う。

 東映の黄金期を支えた1人である中島貞夫監督(87)から聞いた話によると、同氏の監督作品「狂った野獣」(1976年)では主演の渡瀬さんが大型バスを運転し、横転させるシーンがあった。中島監督は当然、スタントマンを起用するつもりだったが、渡瀬さんは「自分でやる」と言って聞かなかった。

 青ざめたのは脚本にバスに同乗すると書かれていた故・川谷拓三さんらピラニア軍団の面々。渡瀬さんはピラニア軍団と親しかった。川谷さんたちは自分たちだけがスタントマンたちに任せるとは言えない。決死のロケとなった。

 渡瀬さんはどんな危険なシーンであろうが、スタントマンを拒否した。ヘリコプターにぶら下がったし、激しいカーアクションにも臨んだ。

「スタントマンが出来るなら、自分だって出来る」と考えていた。そこまで強心臓であるうえ、柔道と空手をやるのだから、ケンカが最強でも不思議ではない。どんな状況であろうが、ひるまないのだから。

 渡瀬さんが薬師丸ひろ子(58)と共演した映画「セーラー服と機関銃」(1981年)では薬師丸が機関銃を撃つシーンでガラス瓶が破裂。薬師丸が顔に裂傷を負った。スタッフは「大丈夫だよ」などと言い、薬師丸を安心させようとしたが、これに渡瀬さんは「自分の娘だったらどうする!」と激怒。

 強い男はやさしいのである。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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