27年続く不倫関係、50歳を前にメンタルが壊れ始めた彼女がとった「怖すぎる行動」とは

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別れと結婚

 それからほどなく、彼女が新たに就職したと連絡してきたが、彼は「もう僕とはつきあわないほうがいい」と心を鬼にして別れを口にした。

「私があんなふうになったから見捨てるのと彼女は泣きました。そうじゃない、僕といるときみを苦しめてしまうからだといってもわかってくれない。ぐちゃぐちゃしているうちに僕らはまたつきあうようになってしまったんです。今度は彼女の両親を裏切ることになったのがつらかった」

 それはすぐに両親の知るところとなり、結局、ふたりは別れを決めた。彼女も納得していたはずだった。そして両親が勧める人と見合いをして結婚していった。

「だけど人間なんてわからないものですよね。一流の会社に勤めていて、周りからも人格者だと思われていた陽菜子の夫が、実はモラハラ男だった。彼女も仕事を続けていたから、完璧な家事なんて無理。なのに夫は、『ねえ、どうして家の中が汚いのに平気でいられるわけ?』というような嫌味をかましてくるんだそうです。結婚して1年足らずで、彼女からときどきそういう愚痴がメールで来るようになった。思わず慰めたら、『やっぱり私はあなたと一緒に、すべてを乗り越えたかったよ』って。そのとき思いました。僕は結局、いろんな問題から逃げてしまったのではないかと」

 ただ、その数日後には、「やっぱり夫とがんばってみる」と前向きな言葉が送られてくる。彼自身もどうしたらいいかわからず、揺れた。そのころ、高校時代の同窓会があり、久々に当時つきあっていた響子さんに再会。10年ぶりに会って、互いにまた心惹かれるようになった。悩みに悩んだ末、治人さんは響子さんと結婚した。その間も、陽菜子さんとずっと連絡を取り合っていた。

「結婚することも伝えました。その時期、陽菜子は夫とうまくいっていたようで、おめでとうと祝福してくれた。でも結婚式直前、『やっぱり私たちが一緒になるべきだった』というメッセージを送ってきた。そう言われると僕もグラグラする。どちらが好きとか、そういう問題ではなく、陽菜子にはどこか負い目があるから、彼女の要請には応えなくてはいけないような気がしていたんだと思う」

 結婚してすぐ、陽菜子さんからSOSのメールが来て彼は会いに行ってしまう。そして関係をもった。「これが最後だよ」と彼は言った。陽菜子さんは泣きながらうなずいた。

エスカレートするモラハラ夫

 それなのに、ふたりの関係は途切れなかった。もちろん、響子さんには陽菜子さんの存在は内緒だった。妻の響子さんといると陽菜子さんのことが頭に浮かび、陽菜子さんといると響子さんに悪いと思う。彼の心は常に引き裂かれていた。

「よく自分がおかしくならなかったなと思います。結局、仕事が逃げ場でしたね。仕事に没頭している時間が、いちばん気が休まるという変な感じでした」

 結婚して2年目に長男を、その3年後に次男を授かった。妻が「女の子がほしい」と言い出して3人目にチャレンジ、無事に長女も産まれた。妻は当然、仕事を続けたので、こうなると家庭と仕事でふたりともてんてこまいの状態だった。

「妻の実家が近かったので、義母がよく手伝ってくれました。さらにこちらで就職していた僕の妹や、妹の彼氏まで動員して、みんなで子ども3人を育てた。人手があるので、陽菜子との時間を作ることもできた。こんなに大事な家庭があるのに、どうして陽菜子と縁が切れないのか不思議でしたね。さすがに黙っていられず、陽菜子にも子どもが生まれるたびに報告しましたが、そのたびに陽菜子は、おめでとうといいながら涙を浮かべる。傷つけるつもりはなかったけど、陽菜子に子どもをもつことを薦めたこともあります。彼女は『私は子どもはいらない。あなたとの時間があればいい』と。そしてその後、彼女は突然、離婚したんです」

 本当は“突然”ではなかった。モラハラ夫は、エスカレートして暴力夫となっていたのだ。陽菜子さんはそのことは治人さんに話さなかった。ある日、離婚したと連絡があり、メッセージをやりとりしていて、彼女が入院中だとわかったのだ。

「夫の暴力で彼女は腕を骨折、肋骨も何本か折れている、と。あわてて病院に行きました。顔も無残に腫れていた。どうしてこんなになるまで黙っていたんだと言ったら、『あなたに迷惑をかけたくなかったから』って、腫れた顔で微笑んだんですよ。僕、床に崩れ落ちました。ふたりとも結婚しているのだから、立場は同等だと思っていたけど、まったく違っていた。僕の結婚生活はどこから見ても恵まれている。妻は鷹揚だし、なにより人手があって、いつも自宅には誰かがいてわいわいやっている。子どもたちもすくすく育っていて、大変だけど楽しかった。でも陽菜子は、いつでも僕と会えるのが『素の自分でいられる時間』だと言っていた。もっと真剣に受け止めるべきだった」

 だが家庭生活をいきなり終わらせるわけにはいかない。生きていること、生活することはすべて「線」なのだと彼は悟った。どこかでブチッと切るわけにはいかないのだ。そして陽菜子さんとの長くなった関係も、その時点ではすでに「線」になっていた。

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