「もっとこの世界にいてほしかった」 古市憲寿が語る人間・安倍晋三への思い

  • ブックマーク

Advertisement

「英雄になんか…ならないで下さい」。田村由美さんの「BASARA」という漫画のせりふだ。愛する男が戦場に旅立つ時、婚約者がつぶやく。広場に銅像が建てられ英雄として崇められるような存在にならなくていいから、とにかく生きていてほしい、と。

 世界中のあらゆる街には、英雄たちの銅像が建てられている。非業の死を遂げた人も少なくない。たとえば日本の歴代首相は64人だが、そのうち7人の死因が暗殺である。

 7人目に当たる安倍晋三元首相の訃報が伝えられた日、この国はある種の虚脱感に包まれた。人々は粛々と日常をこなしながらも、どこか落ち着かない様子だった。「安倍さんの死にショックを受けています」といった声を何人もから聞いた。

 誰もが近しい間柄だったわけではない。それどころか安倍政権を口汚く罵っていた人までが、不思議なほどショックを受けている様子だった。

 政治家としては評価の分かれる人だった。事実、訃報と共に森友・加計学園の騒動を執拗に伝えたメディアもあれば、過剰な神格化をするジャーナリストもいた。「右翼・左翼」という区別がさしたる意味を持たない時代、「アベ・反アベ」は政治観のリトマス試験紙のように扱われることもあった。

「評価が分かれる」というのは、政治家にとって讃辞の一つである。なぜなら政治とは資源配分を決めることだから。100人中100人が賛成したり、反対することに政治は必要ない。51と49で意見が割れたり、話し合いだけで決着がつかないことを決断するのが政治である。当然、恨みを買う仕事だ。政治家としてきちんと仕事(決断)をしてきたからこそ「評価が分かれる」わけである。

 その意味で、安倍晋三という政治家はいくつもの重大な決断をしてきた。アベノミクス、平和安全法制などを巡り、これからも評価は分かれ続けるだろう。

 確かなのは、早晩、銅像を造ろうという話が盛り上がること。そして近未来の歴史教科書には、暗殺という最期を含めて安倍晋三という政治家に一定の紙幅が割かれるだろうこと。

 江戸時代の老中のように、どのように安倍時代が取り上げられるかは、時代と論者によって変わるだろう。中には「安倍晋三」を英雄として扱う人もいるはずだ。日本が長期衰退を迎える中、最後の希望を模索した人だった、というように。

 だが、ささやかながら「人間」としての晋三さんを知っていた一人として思うのは、英雄になんかならなくていいから、もっとこの世界にいてほしかったということ。独裁者や暴君というイメージに反して、偉ぶらず、茶目っ気のある人だった。ブラックジョークの面白い人だった。友人や知人を大事にする人だった。そして愛される人だった。

 政治家を引退した後は旅行に行きたいと話していた。昭恵さんに伝えると、「いいわね。でも別々にね」と冗談で返されたという。笑いながらその話を二人から聞いた日が懐かしい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年7月28日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。