KinKi Kidsとジャニー喜多川氏を結ぶ「愛」 デビュー25周年で語られた「3人」の現在

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芸術家として捉えていますよ

 こうしたアイドル像こそ、ジャニー氏にとっての理想だったのだろう。ジャニー氏自身も、生前、こう語っている。

「僕はタレントをアーティスト、芸術家として捉えていますよ」(*6)

 さらに、自分の死後について尋ねられた際はこう返していた。

「うちのアーティスト は自分でマネージャー業もやっているわけですよ。最初は付き人もほとんど付けない。だから、もし僕がそういう形になっても、自分たちでちゃんとマネージングできるように育てているんです」(*7)

 自分をマネージングできる、というここでの「マネージャー業」という言葉はプロデューサーという言葉に近いものだろう。アイドルであり、プロデューサーであり、アーティスト。そのジャニー氏の理想像を、2人はソロでも体現している。

 堂本剛は2002年に、ジャニーズ事務所史上初の自身による作詞作曲でソロデビューをしている。シンガーソングライターをやらないか、というのはジャニー氏の提案だったという。ソロ活動は今年で20周年を迎え、作詞作曲のみならず、ライブ演出やグッズにいたるまで、プロデュースも自ら行っている。

 堂本光一は、ジャニー氏の作・演出のミュージカル「SHOCK」に5年間出演したのち、2005年からは自らが構成・演出を務める形での「Endless SHOCK」に刷新した。作曲もおこない、作品は権威ある「菊田一夫演劇大賞」を受賞し、現在の上演は1900回を超えている。

これからもKinKi Kidsは3人で

 実はまだCDデビュー前、2人が世間の注目を浴び始めた15歳の頃、将来のことを聞かれこう答えていたことがある。

「いま、暇をみて詩を書いてるんだけど、いつか自分の作詞した曲を歌えたらいいなと思っています」(堂本剛)

「歌、ダンス、演技、ぜんぶ好きだから将来はミュージカルをやるのが目標」(堂本光一)
(*8)

 2人に多大なる愛を注いでいたジャニー氏のことである。2人の希望を知らなかったわけがないだろう。もしかしたら、この取材にも現場マネージャーとして同席していたかもしれない。

 そして今25周年を迎え、堂本光一はこう言っている。

「我々ができること、やりたいことをやってきてるだけ。そのスタンスはこれからも変わらない」(*1)

 そして堂本剛はこう語っている。

「自分たちにしかできないことをやりなさい。ジャニーさんの天の声が聞こえてくる」(*1)

 ジャニー氏が亡くなって3年が経った。

 これからも、KinKi Kidsは2人+「天の声」1人の3人で、他人の決める“ジャニーズらしさ”から逸脱し、進化し続けていってくれるのかもしれない。

(*1)TBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」2022年7月1日放送
(*2)「日経エンタテインメント」1997年11月号
(*3)「日経エンタテインメント」2022年8月号
(*4)「音楽と人」2018年2月号
(*5)「音楽と人」2020年1月号
(*6)「週刊SPA!」1990年7月4日号
(*7)「Views」1995年8月号
(*8)「anan」1995年2月24日

霜田明寛
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3万部のヒットに。また『文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。

デイリー新潮編集部

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