ドラ1・吉野創士を育てた昌平高・黒坂監督、指導の原点はノムさんだった 厳しい練習で部員から胸ぐらを掴まれたことも

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昌平高から駒澤大に進学

 黒坂は1975年6月15日、東京都大田区でこの世に生を受けた。

 幼少期に埼玉・越谷市に引っ越し、野球とサッカーに熱中する少年時代を過ごした。軟式野球で頭角を現すと、県内の強豪・花咲徳栄から特待生の誘いがあった。しかし進路に選んだのは東和大昌平、現在の昌平高校だった。チームの雰囲気や監督・塚本公二の人柄に惹かれた。

 甲子園には縁がなかったが、塚本は小手先の技術ではなく、人間力向上を重視する指導者だった。身長185センチの大型外野手だった黒坂に、野球ノートをつける習慣ができたのもこの頃だ。配球のセオリーや守備陣形。ミーティングの内容を書き、教えを言語化する。何度も読み返して、頭に入れる。そんな作業が楽しかった。高校最後の夏は93年5回戦。1-2で浦和学院に競り負けた。

 卒業後は駒澤大に進学した。同級生には、のちに巨人などで投手として活躍する高橋尚成がいた。監督は太田誠。1971年に監督就任。東都大学野球リーグ通算501勝、リーグ優勝22度、大学日本一5度。中畑清や石毛宏典、野村謙二郎らを育て上げた名将である。

 緻密な野球で戦国東都を勝ち抜いた太田もまた、言葉を重視する指揮官だった。

「お前、長男か」

 黒坂が大学時代の野球ノートを見せてくれた。表紙には「黒坂ノート」と書かれている。在学中は野村ヤクルトの黄金期と重なる。潜在意識に「野村ノート」に象徴されるID野球への憧れがあったのだろう。

「ミーティングの中身ね、これ、見て下さい。『生か死か』って。今の監督、誰もこんなこと言いませんよ(笑)。勝負にこだわるメンタルを、大学では鍛えられたんです」

 4年春のリーグ戦が終わると、最上級生は進路について太田と面談をすることになった。黒坂は監督室に入った途端、こう聞かれた。

「お前、長男か」

「ハイ」

「じゃあ関東のチームだな。シダックスはどうだ」

「ハイ」

「よし決まりだな」

 1分足らずで進路は決定した。そんな時代だった。

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