世界のZ世代を東京に呼び込み日本のエンジンにする――原田曜平(マーケティングアナリスト)【佐藤優の頂上対決】

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発端は自動車作り

佐藤 マイルドヤンキー論は、どのように生まれてきたのですか。

原田 ある自動車会社から、若者向けの車の企画を頼まれたことがきっかけなんです。

佐藤 もとは車の仕事でしたか。

原田 若者研究を始めた後、研究成果をお得意先に売ったり、外部と一緒にプロジェクトを立ち上げたりする部署を社内に作りました。ちょうどその頃、「中国の若者に車を売りたい、日本でも若者を狙いたい」という話がきたんです。それで私は、1年半、自動車会社に行って車を作っていたんですよ。

佐藤 研究を実地に生かす機会がやってきたわけですね。

原田 そこではまず中国の一人っ子政策第1世代である「80后世代」に向けた車を作ることになりました。この時は、デザイナーを連れて中国に渡り、農村で農家に泊まってリサーチしましたね。日本では、若いファミリー向けの軽自動車を作るため、地方のマイルドヤンキーたちに大量のインタビューをしたんです。

佐藤 自動車会社の人たちは驚いたでしょう。

原田 デザイナーは強いインスピレーションを得て、さまざまなデザインやアイデアを出してきましたね。

佐藤 マイルドヤンキーは車に何を求めていたんですか。

原田 各地のマイルドヤンキーのパパママから共通して出てきたのは、「うちの子供が5分でもいない時間があったら、ゆっくりコーヒーが飲めて幸せなのに」という言葉でした。昭和の親、特に母親なら、子供がいるのが辛いとか不快だとは言えないし、そう思う自分を責めますよね。でもマイルドヤンキーはそういうことをバンバン言う。だったら、これをコンセプトにしてしまおうと思った。

佐藤 マイルドヤンキーは早婚で、出産も早いですからね。

原田 具体的には、車が母親の代わりになる、母親の手助けをする機能を考えました。例えば遮光性が高くて日差しがあまり入らないとか、おもちゃの道具箱があるとか、飲み物をこぼしても汚れにくいとか。それをプレゼンしたら、スタンディングオベーションですよ。この時、これは受けそうだと思って、マイルドヤンキー論をまとめることにしたんです。当時、別の自動車会社の、ある車種の営業マニュアルに「ターゲット=マイルドヤンキー」とあるのを見た時には、影響力あったな、と思いましたね。

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