食事療法と少量の抗がん剤を使用「がん共存療法」とは 『病院で死ぬということ』著者が自ら実践

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 約30年前、著書で現代医療に一石を投じた緩和ケア医の山崎章郎(ふみお)氏(74)は、数年前にステージ4のがんに侵されたことがわかり、治療を続けている。抗がん剤の副作用を経験し、思索の末にたどり着いた「がん治療」の答えとは。ご本人が「がん共存療法」の試みを記した。

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 2018年、ひと夏、時ならぬぐるぐるという腹鳴(ふくめい)に悩まされた私は、その症状から、大腸がんに間違いないと確信した。その時の想いは、衝撃というよりも腑に落ちたという気持ちだった。その理由は下記のとおりである。

 1975年千葉大学医学部を卒業して、同大学附属病院の外科医局に身を置きながら、消化器外科医としての経験を積み重ねていた私は、大抵のことはこなせると自信を持ち始めた外科医9年目の83年、学生時代から憧れていた船医になった。

 同年11月から翌84年3月初めまで、南極海底地質調査船の船医として働いたが、その南極海上で私の医師人生の方向性を決定づける衝撃的な読書体験をした。それは船上での有り余る自由時間に備えて持ち込んだ何冊もの本の一冊、アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』(読売新聞社)の第1章を読み始めて間もなくのことだった。

穏やかに死を迎える、という衝撃

 そこには、病院ではなく住み慣れた家で、家族に囲まれて、穏やかに死に向かう人のエピソードが描かれていた。医者になって以来、患者の臨死時には例外なく、心臓マッサージや人工呼吸等の蘇生術を行ってから、家族へ臨終を伝えていた私にとって、人がそんなふうに穏やかに死を迎えられるということは、まさに衝撃だった。

 その時以来、あるべき終末期医療を探し求めることが、私の医師人生の最重要課題になった。下船後、再び一般医療現場で外科医として働きながら、終末期医療に取り組んだが、間もなくホスピスケア(緩和ケア)こそが、さまざまな課題を解決し、人々が納得して、尊厳に満ちた人生の終焉(しゅうえん)を迎えることが可能になるケアのあり方であると確信するようになった。そして、私は、メスを置き、ホスピス医(緩和ケア医)として生きる決意をした。

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