リハビリ事業に進出した出版社の思想と実践――青山 智(三輪書店代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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 リハビリテーション関連の雑誌や書籍を刊行していた三輪書店は、十数年前、出版社の枠を超えてリハビリ事業そのものに進出した。それは現在、子会社4社、医療法人1社で53の施設を抱える一大グループに成長したが、成功の秘訣はどこにあるのか。出版不況下で重ねた模索と試行錯誤の軌跡

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佐藤 医学書の出版社である三輪書店は、東京商工会議所が主催する「勇気ある経営大賞」の2021年度の大賞を受賞されました。出版の枠を超え、子供のリハビリテーション事業に進出されたことが評価された。おめでとうございます。

青山 ありがとうございます。

佐藤 そこに至る過程には、MBO(経営陣による会社買収)があったとうかがいました。MBOは増えてきたとはいえ、年間十数件ほどで非常に珍しい。しかもその舞台が出版社で、その後、異業種に参入して成功したのは稀有なケースです。

青山 異業種とはいっても、出版の中心はリハビリテーション関係の書籍や雑誌ですから、それを実践しただけのことなんです。

佐藤 訪問看護やリハビリテーションを行う子会社をいくつも作り、「三輪書店グループ」を形成されています。何社あるのですか。

青山 子会社4社、医療法人1社で、53の施設があります。三輪書店本体の社員は23名ですが、グループ全体では740名になります。

佐藤 それは一大グループですね。そもそも三輪書店はどんな成り立ちの会社なのですか。

青山 弊社は1987年に三輪敏という編集者が創業しました。彼は、医学書では最大手の医学書院に勤めていましたが、地域医療、その中でも地域リハビリテーションを推進していきたいとの思いから、この会社を興したんです。

佐藤 「三輪」は創業者のお名前なのですね。

青山 彼は、これからの医学・医療に必要なのは治療学だけではない、慢性疾患や後遺症がある人たちへの医療が重要になると考えていました。そしてリハビリテーションを、彼らが地域・在宅の中で自立した生活を送るための思想であり技術だ、と位置付けたんです。

佐藤 それは当時、非常に先進的な考えだったのではありませんか。

青山 あの頃、リハビリといえば、せいぜい歩行訓練くらいのイメージで、まだその重要性が認知されていませんでしたね。

佐藤 バブルの頃ですよね。病院も目先のマネーゲームに走ることがあった時代に、何十年も先を見ていた。

青山 三輪氏は高齢化社会の到来も見通していました。

佐藤 人はいつかは衰えて死んでいく。そのプロセスの中では、リハビリが必要になる時期がやってきます。

青山 高度成長の延長上にバブルが起きて、社会は経済優先型になり、それは家族のあり方にも大きな影響を及ぼしました。病気や怪我で働けなくなった人たちは、家庭内や地域の施設に収容され、社会から切り離されていった。そうした時代にあって、その人たちをリハビリテーションによって、もう一度社会に戻していこうとしたんですね。

佐藤 医師側から見ると、リハビリテーションは人気がないでしょう。

青山 手術して完治したという達成感のある治療とは違って、リハビリテーションでは、機能が完全には元通りにならない。だいたいが現状維持、よくても若干の改善です。だからその分野には人が集まらず、もともと医療では弱い分野でした。

佐藤 そう見ていくと、三輪書店は確固たる思想に則った会社ですね。

青山 1960年代末の学生運動で、東大を中心にした医学部闘争がありましたね。その中核のメンバーは中央から放逐されて、農村や山間部など地方で医者になりました。彼らはそこで、寝たきりにしたままの老人医療の現場を見るんです。だから地域で自立を図るためにリハビリテーションが必要だと考えるようになった。そして彼らは「地域リハビリテーション研究会」を立ち上げていきます。弊社はそのメンバーと非常に関係が深く、ともに地域を盛り上げようと、出版活動を行ってきた。それが三輪書店の役割であり、歴史なんです。

佐藤 そこは創業者の人脈ですね。

青山 三輪氏は伝説的な編集者だと思います。知識、見識があり、創造力も編集能力も非常に高かった。私にはそんな能力はありません。だからMBOを行っても、名前は三輪書店なんですよ。

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