「戦場にいない間、全てを忘れたい」と語るウクライナ兵 50日間現地取材した記者が明かす戦地のリアル

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「プーチン」「ゼレンスキー」「NATO」……。日々飛び交う固有名詞に、我々は戦争を知った気になる。だが、戦時という非日常を日常のものとして生きる名もなき兵士や市民の現実を、果たしてどれだけ分かっているか。現地50日間の取材に基づく「ウクライナ戦記」。【水谷竹秀 / ノンフィクション・ライター】

 ***

 ホテルのバーカウンターで白ワインを飲んでいた。

 隣の席にTシャツ姿の若い男性がやって来て、バーテンダーにビールのおかわりを注文した。男性と目があったので、軽くあいさつを交わす。

「僕はウクライナの兵士だ。今は束の間の休暇中なんだ。少ししか英語が話せないけど、よろしく」

 そう語る彼の目は虚ろで、かなり酒が回っているようだった。英語での会話が続かないので、私は反対側の席に座るカナダ人男性と話を続けた。

「ウクライナ入りしたのは人道支援が目的。現在、首都キーウのクリチコ市長との面会を調整中だよ」

 恰幅の良いカナダ人のそんな話に耳を傾けていると、ウクライナ人兵士が横からちょっかいを出してくる。だが、ウクライナ語でぶつぶつ言っているのでよく分からない。試しに、ウクライナ人同士で頻繁に使われる合言葉を口にしてみた。

「Slava Ukraini!(ウクライナに栄光あれ!)」

 ところが、ウクライナ人兵士は、「No no no!」と呟いて、苦虫をかみ潰したような顔に。気を使ったつもりが、逆効果だったようだ。私の発言の何が、彼の地雷を踏んでしまったのか。

 その時だった。ウクライナ人兵士が何事かを発しながら、私の耳を強くつねった。目がつりあがっている。驚いた私はバーテンダーに、

「彼を止めてほしい」

 と伝えると、バーテンダーはフロントの方へ急ぎ足で向かった。その刹那、ウクライナ人兵士は私を平手打ちした。兵士の腰に目をやると、拳銃がささっていた――。

「仲間の代わりに謝罪したい」

 私がウクライナ入りしてちょうど1カ月が経過した、5月6日夜の出来事だった。ホテルは大統領府からおよそ500メートルで、キーウの中心部に位置していた。

 2階にメディアセンターが開設され、毎日、ウクライナ軍のスポークスマンやその他政府関係者が記者会見を行うため、宿泊客の大半は、欧米や日本のメディア関係者だった。夜間は外出禁止令が継続中で、営業しているキーウの飲食店は午後8時には閉店する。取材で少し時間が押しても、ホテルのバーなら深夜まで営業しているため、毎晩、誰かしらメディアの人間が一杯やっていた。戦地取材でも、いや戦地取材だからこそ、アルコールが欠かせないのかもしれない。

 その日、私は朝からキーウ郊外へ取材に出掛け、ホテルに戻ったのは午後8時ごろ。バーに直行し、飲み始めてしばらく経ったところで、件のウクライナ人兵士が絡んで来たのだ。

 しばらくして、兵士の仲間だという中年の男が私の目の前に現れ、手を胸に当て、深々と頭を下げた。

「仲間の代わりに謝罪したい。この気持ちを受け取ってくれるか?」

 聞けば、件の兵士とともにロシア軍と戦い、1週間の休暇を得てホテルに滞在しているという言い分だった。この同僚兵士もかなり酔っていた。

「戦場から一時的に引き揚げている間、僕たちは全てを忘れたいんだ」

 戦場に足を踏み入れたら、殺(や)るか殺られるか。その極限の緊張状態から暫時解き放たれ、頭をリセットしたい。彼の発した「忘れたい」という言葉の裏に、そんな思いを感じ取った。

 バーで一杯。カウンターに座っていると、「平時」の空気が流れているかのように錯覚してしまう。だがやはり、ウクライナが「戦時」であるという現実を、否が応でも突き付けられた。ウクライナ兵の腰にささった拳銃が、まぶたの裏にこびりついて離れなかった――。

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