「竜ちゃんがいなかったら有吉は辞めていた」 高田文夫氏が明かす“竜兵会”の絆

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 稀代のコメディアン・志村けんさんが急逝して2年。今度は志村さんを師と仰いだ芸人が自ら命を絶った。定番のギャグとリアクション芸で芸能界を生き抜く一方で、彼がこよなく愛したのは酒と後輩芸人。どん底の時代から慕っていた有吉弘行(47)はその死に直面して……。

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「ごめん、ごめんな。もう時間なんだ。遅れるわけにはいかなくて。ありがとう、ありがとうな……」

 今月14日午前、都内の自宅前でダチョウ倶楽部リーダーの肥後克広(59)に声をかけると笑みを交えて応対し、車に乗り込んだ。

 それから約2時間後、肥後の姿は都内の斎場にあった。祭壇の中央にはともに芸能界を生き抜いてきた“戦友”の遺影。相変わらずの笑顔にトレードマークの帽子をかぶり、密葬の参列者を穏やかに迎えているかのようだった。

 貸切状態の斎場の1階には在りし日の故人の写真が飾られ、2階の式場に親交のあった芸人と親族が続々と訪れた。90歳を超えている車椅子の母親は終始涙を流し、妻でタレントの広川ひかるとダチョウ倶楽部の二人は気丈に振る舞っていた。肥後は場を和ませようと旧知の芸人に語りかける。笑いをとろうとしたのか、白いタキシードで現れた芸人もいた。

 生前、好きだった「男はつらいよ」のテーマソングが流れ、故人が安らかな顔で眠る棺に皆が花を手向ける。会場に響くすすり泣く声。中には大声でこう語りかける者もいた。

 なんで電話してくれなかったんだ――。

35年以上、第一線で活躍

 上島竜兵さん、享年61。東京・中野区にある自宅マンションの一室で意識のない状態で発見されたのは10日深夜のことだった。

 警視庁担当記者によれば、

「第一発見者はひかるさんで、すぐに救急に通報し、上島さんは病院に搬送されましたが、通報から1時間ほどで死亡が確認されました。発見現場の状況から首を吊って自殺を図ったものと見られています」

 神戸で育った上島さんは高校卒業後、俳優を志し上京。出会ったのが同じく俳優を目指していた寺門ジモン(59)だった。その後、お笑いへと転向し、1985年、肥後や南部虎弾とお笑いグループを結成。南部は後に脱退するが、ダチョウ倶楽部として、35年以上の長きにわたり、第一線で活動してきた。

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