自らバリカンで頭を丸めた巨人の4番も…「強制送還」を食らった選手、その後どうなった

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「神宮で投げさせるわけにいかないしな」

 5月4日のDeNA戦で、敗戦につながる拙守を犯した中日・京田陽太が試合中にもかかわらず、立浪和義監督から2軍落ちを命じられ、遠征先の横浜から名古屋に強制送還された。選手会長の“懲罰降格”は大きな話題になったが、過去にはどんな選手が強制送還され、その後どうなったのだろうか。【久保田龍雄/ライター】

 中日は、落合博満監督時代にも強制送還が何度となく行われていた。第1号は、最優秀防御率2回、二桁勝利3度の実績を誇る左のエース・野口茂樹である。

 2004年8月7日の広島戦、先発・野口は1回、先頭の尾形佳紀に二塁打を許したあと、シーツに先制2ランを浴び、1死後、ラロッカ、前田智徳に連続被弾。さらに、緒方孝市にも右翼フェンス直撃の二塁打を打たれたところで、早過ぎる降板となった。

 プロ入り後最短のわずか1/3イニングでのKO劇……。この年の野口は5月以降不調に陥り、6月6日に登録抹消。2軍で走り込んで復調し、1軍再昇格直後の同20日の横浜戦で完封勝利を挙げた。ところが、6月27日の阪神戦で4勝目を挙げたのを最後に、1ヵ月以上も白星がなく、広島戦が背水のマウンドだったが、打者5人で4失点では、お話にならない。

 落合監督はその場で野口に登録抹消を告げ、名古屋に強制送還すると、「今日のような状態では、神宮(13日からのヤクルト3連戦)で投げさせるわけにいかないしな」と吐き捨てた。

あわや「完全試合」の大野雄太も

 一方、広報を通じて「何もないです」とコメントした野口は、“カンフル剤”効果もなく、同年は4勝8敗に終わった。2年後にFAで巨人に移籍したが、新天地でも復活することなく、ユニホームを脱いでいる。このほか、08年に山内壮馬、09年には山井大介が不甲斐ないピッチングを見せたことで、試合途中に遠征先から名古屋に帰されている。

 中日・谷繁元信監督時代の14年に強制送還されたのが、先日の阪神戦であわや完全試合の快投を演じた大野雄太である。

 14年4月26日のヤクルト戦、先発・大野は初回に連続四球などで5失点。2回の自軍攻撃中、ベンチ前で続投準備のキャッチボールを始めようとしたところ、首脳陣に却下され、そのまま名古屋へ戻された。

 友利結コーチは試合後、大野について「あんな投球をされるとみんなの輪を乱して迷惑です。開幕(投手)宣言までした人。責任を取ってもらう」と厳しく批判した。開幕からの5試合で0勝3敗と結果を出せないエース候補にきついお灸を据えた形だ。しかし、その後調子を取り戻して、10勝8敗でシーズンを終えている。

 その大野は、かつての自身と同じ境遇の京田について「僕も全然勝てなくて苦しいときがあった。でも、そこを乗り越えていかないといけない」とエールを贈っている。

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