自らバリカンで頭を丸めた巨人の4番も…「強制送還」を食らった選手、その後どうなった

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2度あることは…

 1度だけならまだしも、計3度にわたって強制送還の悲哀を味わったのが、オリックス・山崎福也である。

 17年5月26日のロッテ戦、先発・山崎は制球に苦しみ、3回途中4失点KO。福良淳一監督は「ほかのコーチからもそういう話が出たから帰そうと。同じ失敗を繰り返している。話にならない」と心を鬼にして強制送還を命じた。

 試合中にもかかわらず、ホテルに戻って着替えを済ませたあと、新幹線で帰阪する羽目になった山崎は「悔しいということしかありません」と雪辱を誓い、1軍再昇格後の7月10日の日本ハム戦で意地のプロ初完封勝利を挙げた。

 ところが、至福のときもつかの間、9月18日の日本ハム戦で、初回に3四球と乱れて4点を失う“背信投球”で、シーズン2度目の強制送還となった。

 さらに、19年4月28日の西武戦、2対0とリードの8回に2番手・近藤大亮が押し出しを含む4与四球で降板したあと、なおも1死満塁のピンチで、山崎はマウンドに上がった。だが、森友哉に同点の押し出し四球を与え、栗山巧には勝ち越しタイムリーを浴びる。続く中村剛也にも2つ目の押し出し四球と、火に油を注いでしまう。

「近藤も山崎も打者と勝負できていない。明日からファームに行かせます」と怒り心頭の西村徳文監督は、逆転負けの戦犯となった山崎と近藤に強制送還を命じた。

 そんな試練の数々を乗り越えた山崎は、7年目の昨季は6月下旬からシーズン終了まで先発ローテーションを守り、日本シリーズ第5戦で先発するなど、ようやく一本立ちをはたしている。

「試合途中での強制帰宅」

 このほか、12年、巨人FA移籍1年目の村田修一の“準強制送還”とも言うべき、「試合途中での強制帰宅」を覚えているファンも多いはずだ。

 9月7日のヤクルト戦、5番サードで出場した村田は、1回無死一、二塁のチャンスに空振り三振に倒れると、2回1死一、二塁の2打席目も三ゴロ併殺と精彩を欠いた。前日の阪神戦でも3度の得点機にいずれも凡退するなど、「チャンスに弱い」というイメージが定着していた。

 2打席目の凡退後、原辰徳監督は、ベンチに戻ってきた村田に「今夜はもう自宅に帰っていい。また明日元気に会おうじゃないか」と告げ、サードの守備を古城茂幸に交代した。

 翌日のヤクルト戦は神宮球場からハードオフ新潟に移動しての連戦。村田は「2試合連続で、得点機で打てていない。気持ちと体をリフレッシュして新潟で頑張ります」と決意を新たにして帰宅した。岡崎郁ヘッドコーチは「彼にとっても、屈辱的な交代だと思う」と評したあと、「明日はどういう姿で彼がグラウンドに来るのか楽しみです」と意味深なコメントを口にした。

 そして翌日、村田は前夜、家にあったバリカンで「自分でやった」という丸刈りにイメージチェンジしてグラウンドに現れた。気合十分の姿を見た原監督も「いいねえ」と笑みを浮かべながら、頭を撫で回した。

 この日の村田は3打席続けて凡退したあと、4打席目の6回2死、待望の左前安打を放ち、「得点圏とか関係ない。1本出たことに尽きる」と語気を強めた。その後も村田は、もがき苦しみながら全144試合に出場し、打率.252、12本塁打、58打点でチームの日本一に貢献。自身2度目のベストナインに選ばれている。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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