知床遊覧船、捜索費用の数十億円を国が負担か 元船長が新たな“不正”を証言

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「話しかけても上の空」

 まずは当日、KAZU Iの出航準備を手伝ったのち、後続の船、KAZU III(スリー)で船上ガイドを務めた男性の話。KAZU IIIは、観光船会社の拠点となるウトロ港を出て、知床半島の西岸にあるカムイワッカの滝までを往復した。KAZU Iと比べてコースの総距離は3分の1と短かったことが幸いだった。

「あの日も豊田船長は疲れ気味でした。会社の経営が思わしくなくて慢性的な人手不足だったせいでしょう。話しかけてもどこか上の空といった様子。出航前、私は彼に“午後から天気が悪くなるので気を付けろよ”と注意したんですが、耳に入っていない様子でした」

 KAZU Iの甲板員が新人だったため、この男性は出航直前のKAZU Iに乗り込み、乗客がライフジャケットを着る手伝いもした。

「でも、子供用のライフジャケットがなく、7歳の男の子に着せたものが少し大きかったんです。そのお母さんに“出航したら、船員に頼んでサイズが合うものに替えてもらってね”と伝えたのを覚えています」

 午前10時に出航して約1時間後、豊田船長からKAZU IIIに無線が入る。

「カムイワッカの滝の付近でクマが横になっていた」

 知床に生息するヒグマが洋上から見えることを報せる内容だった。それが、男性にとって豊田船長の声を聞いた最後となった。

「事故の対応に当たるわけでもなく、ぼーっと立っていた」

 KAZU IIIは正午前にはウトロ港に戻ったが、KAZU Iははるか知床岬に達して折り返し、その後、悲劇に見舞われる。

 午後1時過ぎ、同業他社がKAZU Iの発するSOS無線を傍受。男性らは救援に向かおうとするも、

「海面に白波が立って、とても出航できるような状況ではなかった。海保に電話することしかできませんでした」

 乗客から携帯で「船が沈みそうだ」と切迫した連絡を受けた家族も「知床遊覧船」に緊急事態を報せるべく電話を入れている。

 差し迫った状況の中、桂田社長が事務所に姿を現したのは、午後3時をとうに過ぎてからである。

 ところが、だ。

「事故の対応に当たるわけでもなく、ぼーっと立っていただけでしたね」(同)

 もっとも、こうした振る舞いは桂田社長の“通常運転”なのだという。

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