元通訳が明かす、「オシム監督」が遺した日本のサッカーが目指すべき道

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嫌いだった2つの日本語

 日本語についても、人前で話すことはしませんでしたが、それなりに理解をしていたと思います。何について、どのような文脈で話されているかくらいは、だいたい把握できていた。なかでも嫌いな日本語があって、それは「切り替え」と「しょうがない」という単語でした。

 よくミスをしたり上手くいかなかったりした時に、「しょうがないから切り替えて、次にいこう」なんて言うじゃないですか。これがダメなんです。オシムさんは、「失敗そのものはきちんと認めなくてはいけない。しかし、なぜ失敗をしたのか、その原因をきちんと考えて、次に同じ失敗をしないようにならなくてはいけない」という考え方でした。だからこそ、「切り替え」と「しょうがない」という2つの日本語には鋭く反応して、「そうではない」と言い返すんです。

 いまでもオシムさんが日本で愛されている理由は、発言がサッカーという枠を超えて、優れた日本社会論になっていたからです。それは単に苦言を呈する、という種類のものではありませんでした。厳しい発言であったとしても、本質は、もっと自信を持てと我々を励ましてくれるものでした。

日本人の良さを活かしたサッカー

 オシムさんが就任する前、日本代表は06年のドイツW杯で惨敗し、日本におけるサッカーを取り巻く空気は暗いものになっていました。極端な言い方をすれば、そもそも日本人にはサッカーは向いていないんじゃないか、というくらいの重い雰囲気がありました。

 しかし、オシムさんは「そうじゃないんだ」と言ってくれた。日本人には俊敏性や組織力などの優れた資質があるのだから、もっと自信を持ちなさいと、励ましてくれたんです。ただし、それと同時に、指示を待つだけではいけない、もっと責任を持って自分で判断をしていかなくてはいけないと、弱点も指摘してくれていた。

 そして、一番の功績は、当時の空気を変えただけではなく、いまに繋がる、日本人の良さを活かしたサッカーとは何なのかを考え、日本ならではのスタイルの確立を目指すという、強化の方向性を示してくれたことでしょう。

 現在のサッカー協会は、オシムさんの監督時代に強化スタッフとして影響を受けた人たちが中枢を担っています。それは、現在のトップの田嶋幸三会長が、オシムさんが監督に就任した際の技術委員長だったことからも明らかです。いま、サッカー協会は「Japan’sWay」という標語のもとに、日本人らしさを目指すことを強化の方針として挙げていますが、これなどは明らかにオシムさんの影響によって生まれたと言えるでしょう。

デイリー新潮編集部

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