北朝鮮のスパイと結婚した日本人看護婦 夫の正体を知った後、彼女はどう振舞ったか

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ミサイル基地も撮影

「結局、英子は、崔に全面的に協力しました。彼女は観光客を装って横須賀や佐世保の軍港、朝鮮に近い板付(現・福岡空港)やジョンソン空軍基地(現・入間基地)の写真を撮影し、崔を驚かせました。彼女は、何気なく肩にカメラを乗せ、歩きながらシャッターボタンに触れていたのです。米兵は、英子をただのお嬢さんとしか見なかったようです」

 英子は本物のスパイ顔負けの活躍をした。崔は、英子の腕を信頼して、沖縄の米軍基地撮影も依頼した。

「英子は沖縄に渡り、島内を巡って基地を撮影しました。中でも、北朝鮮軍は摩文仁近くにあるミサイル基地の画像を欲しがっていた。そこは警備が厳重だったため、訓練を受けたスパイでも撮影するのは難しかったといいます」

 当時公安当局は、北朝鮮が平壌放送を通じて日本に潜入したスパイと連絡を取っていることを把握していた。平壌放送の番組の途中で読み上げられる数字を暗号表に照らし、指令の内容を解読したという。

「公安部外事2課は、平壌放送で流れた数字を解読したところ、『小型の船を入手し、その船で帰国せよ』という内容であることを解読。全国の警察に小型船を購入した人物をマークさせると、下関市で漁船を300万円で買った滝川洋一という男がいるとの情報を入手しました」

 公安部外事2課は、すぐに捜査を開始した。

「本物の滝川さんは1950年に死亡していることが判明しました。その過程で、英子の存在も浮かびあがったのです」

 外事2課の動きを察知した崔は、行方をくらました。新宿の自宅には、英子がひとりで暮らしていた。公安は彼女を泳がせ、尾行を続けたという。

「1962年7月、英子は電車で自由が丘(大田区)へ向かいました。商店街にあった喫茶店に入り、しばらくすると崔が現れたのです。文子は現金の入った紙包みを崔に渡し、2人は無言で店を出ました。2人は別れ、崔がタクシーに乗ろうとしたところ、張り込んでいた捜査員に取り押さえられました。英子も婦人警官に逮捕されたのです」

 1962年9月、崔は出入国管理令違反、秘密保護法違反などで懲役1年4月、執行猶予2年で強制国外退去。英子は秘密保護法違反などで懲役7月、執行猶予1年が言い渡されたという。

 英子は幸せな結婚生活を送るという夢が破れ、失意のまま実家に帰ったという。北朝鮮スパイに協力したことについて、後悔の念はあったのだろうか。

デイリー新潮編集部

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