愛子さまと悠仁さま、知られざる「本家」と「分家」の違いは「生まれてすぐ」から

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名付け親の大きな違い

 平成18年9月6日午前8時27分、悠仁さまは、秋篠宮さまと紀子さまの第三子として、東京都港区の愛育病院で誕生した。

 身長48.8センチ、体重2558グラム。紀子さまにとっては、40歳の誕生日を目前にしての出産だった。

 名前は、一般のお七夜にあたる12日、母子が入院していた病院内で「命名の儀」を行って、決められた。皇室では、命名までは「新宮(しんみや)さま」と呼ばれる。

 命名の儀では、秋篠宮さまが名前を決めたが、この段階ですでに、「宮家のプリンス」と「皇太子家のプリンセス」の立場の違いが、いろいろと鮮明になった。

 天皇と皇太子の子供は、厳密な手順を踏んで天皇が名前を決めるが、宮家の場合は父親が命名する決まりである。

 また、皇族を呼ぶ際に使われる「宮さま」には、「称号」と「宮号」という二つの種類があるが、「幼い時の呼び名」である称号も、天皇と皇太子の子供に限られている。

 愛子さまが生まれたのは平成13年12月1日午前2時43分。身長49.6センチ、体重3102グラムだった。雅子さまは当時37歳で、安産だった。そして、愛子さまには、前述の決まりの通り、命名の儀で天皇陛下から、「敬宮(としのみや)」という称号と名前が与えられた。

 愛子さま誕生の5日後、まず天皇陛下は皇居で湯浅利夫長官(当時)に、新宮へ名前を贈ることを伝えた。称号と名前とが高級和紙「大高檀紙(おおたかだんし)」に書かれた「名記」が、菊の紋章の付いた黒塗りの檜の箱に納められ、それが長官から侍従長へ伝達された。さらに東宮御所の東宮大夫(とうぐうだいぶ)に届けられ、皇太子さまがそれを見て名前が正式に決まった。

「名記」はその後宮内庁病院へ運ばれ、東宮女官が雅子さまに見せてから愛子さまの枕元に置かれた。

 一方、41年ぶりの慶事だったとはいえ、宮家の悠仁さまには、称号が与えられることはなかった。

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