与田剛は31セーブで二冠…酷使された「ルーキー守護神」の過酷な運命

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「でも、やりたいです」

 翌年4月12日の近鉄戦、03年に10セーブを挙げた篠原貴行が故障離脱というチーム事情もあり、8回1死からリリーフした三瀬は、9回まで無失点に抑え、プロ初セーブを挙げた。「まさか自分がセーブを挙げるなんて。ストッパー? 胃に良くないですね」と率直な感想を漏らしながらも、28歳のルーキーは「でも、やりたいです」とキッパリ。

 その言葉どおり、同年は55試合に登板して28セーブを挙げ、平井正史(オリックス)と最優秀救援投手を同時受賞したばかりでなく、新人王、オールスター出場と野球人生で最も思い出に残る1年になった。しかしながら、その後は2年目に18セーブを挙げたものの、制球が悪くなってしまい、シーズン途中から馬原孝浩に守護神を譲る。3年目からは「中継ぎ専門」となり、二度と守護神に戻ることはなかった。

 ここで紹介した「ルーキー守護神」のうち、2人の投手は1年目がキャリアハイで、2年目以降は故障や不調に苦しんでいる。冒頭で触れた大勢や栗林が、登板過多で酷使されずに、長くプロで活躍できるように祈るばかりだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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