与田剛は31セーブで二冠…酷使された「ルーキー守護神」の過酷な運命

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「この野郎!」と一喝

 巨人のドラフト1ルーキー・大勢が開幕から守護神に定着し、チームの開幕ダッシュを牽引しているほか、昨季も広島のドラフト1位・栗林良吏が、新人最多タイの37セーブで新人王に輝くなど、近年の日本球界では“ルーキー守護神”が目立っている。【久保田龍雄/ライター】

 その元祖といえるのが、1990年の中日・与田剛である。高校時代は甲子園出場なし。亜大時代も1年先輩の阿波野秀幸(近鉄など)の陰に隠れていたが、NTT東京時代に150キロ超の速球で、野茂英雄(新日鉄堺→近鉄)、潮崎哲也(松下電器→西武)とともに“社会人三羽烏”と注目され、中日の単独1位指名を受けた。

 1年目は春季キャンプ中に右足太もも肉離れを発症し、出遅れたものの、3月後半のオープン戦3試合で好投し、ギリギリで開幕1軍切符を手にした。ここから野球人生で最も輝かしいシーズンが幕を開ける。

 4月7日の開幕戦、大洋戦、5対5で迎えた延長11回無死一、三塁のピンチに、プロ初登板のマウンドに立った与田は、田代富雄を投ゴロ、横谷彰将、宮里太を連続空振り三振に打ち取り、無失点で切り抜ける。田代の投ゴロでは、本塁に突っ込み、捕手に激しくタックルした三塁走者・清水義之を「この野郎!」と一喝する場面が見られた。星野仙一監督に、こうした“向こうっ気の強さ”も気に入られ、以後、抑えを任されている。

ルーキーイヤーが生涯最高の成績

 4月12日のヤクルト戦でプロ初セーブ、同18日の広島戦でプロ初勝利を挙げた。6月13日の広島戦では、16セーブポイントの新人記録を達成した。オールスター第2戦では先発に起用され、ライバル・野茂と投げ合っている。

 しかし、現在のように抑えが「9回限定」ではなく、回またぎは当たり前。時にはロングリリーフもある過酷な条件下で、与田は、連日登板を続けるうちに、肩や肘が熱を帯びて痛くて、朝起きるのがつらい状態に陥ったという。

 そんな苦境にあっても、「あいつのセーブはほんまもんや」「与田で負けたらしゃあない」という星野監督の信頼に応えようと、守護神の責任をまっとうした。8月15日の広島戦では、当時の日本人最速の157キロをマークするなど、50試合に登板して31セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルと新人王を獲得した。

 2年目以降は、相次ぐ故障に泣き、ルーキーイヤーが生涯最高の成績となったが、与田自身は「その1年だけでも精一杯輝くことができたのだから、十分ではないかと感じている」と振り返っている。

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