与田剛は31セーブで二冠…酷使された「ルーキー守護神」の過酷な運命

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「ハマの小魔神」

 一方、与田の記録を軒並み更新する快挙を成し遂げたのが、2015年の山崎康晃(DeNA)だ。前年の守護神・三上朋也がキャンプで故障し、山崎はルーキーながら開幕直前に新守護神に指名された。3月31日の広島戦でプロ初セーブを挙げると、フォークのように鋭く落ちるツーシームを武器に、5月6日のヤクルト戦まで8連続セーブを記録して、与田の新人記録に並ぶ。

 そして、同8日の巨人戦。6対5と味方が逆転した直後の9回に登板した山崎は、高橋由伸、橋本到、金城龍彦を3者連続三振に切って取り、25年ぶりの新記録となる9連続セーブを達成。「必ず逆転すると信じていたので、(9回に)投げることしか考えていなかった」と初々しいコメントを残している。

 さらに、8月20日のヤクルト戦では、2対1の9回を3者凡退で締め、与田の新人記録「31」を更新する32セーブ目を記録した。お立ち台では、女手ひとつで育ててくれた母・べリアさんに「『ありがとう』という言葉をウイニングボールに添えて渡したい」と感謝の言葉を贈っている。

 チームの大先輩である“大魔神”佐々木主浩にちなんだ「ハマの小魔神」の愛称も定着し、同年はチーム最多の58試合登板、新人最多の37セーブで文句なしの新人王に輝いている。19年までチームを支えるも、20年、不調に陥って守護神の座を返上。今季は再び守護神に返り咲き、奮闘を続けている。

一発大逆転のドラマ

 最後に、「ドラフトで指名されなければ野球を辞めよう」と覚悟していた“崖っぷち男”のエピソードを紹介しよう。ラストチャンスで夢を果たしたばかりでなく、1年目から抑えの切り札に抜擢される、そんな一発大逆転のドラマの主人公になったのが、三瀬浩司だ。

 高校2年春に外野手から投手に転向した三瀬は、大学までまったく無名の存在だったが、卒業前に「力試しのつもり」で受けた地元社会人チーム・NTT四国のテストを受けたことがきっかけで、系列のNTT中国に採用され、「大学で辞めるはずだった」野球をさらに続けられる幸運を掴む。

 だが、入社2年目の1999年、NTTの再編に伴い、チームはNTT西日本に一部統合されてしまう。三瀬は広島支店のクラブチーム・NTT西日本中国クラブでプレーを続けたが、これも2003年限りで休部が決まった。

 ラストイヤーを飾ろうと、エース・三瀬を中心に一丸となったチームは都市対抗出場をはたすが、日本選手権は地区予選で敗退。「これで引退だ」と半ば覚悟した。そんな矢先、思いがけずダイエーから声がかかり、入団テストに合格。7巡目指名でプロ入りの夢が叶うのだから、人間の運命は本当にどう転ぶかわからない。

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