野村克也、知られざる「空白の3年」に迫る 「あの頃が一番楽しかった」と語った理由とは

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シダックス時代が「一番楽しかった」

 球界で「復権」した野村はその後、新規参入2年目を迎えた楽天の監督となり、優勝こそできなかったものの、田中将大という大選手を育てることに成功する。楽天の土台を作ったのは間違いなく野村だ。その彼が楽天監督だった頃、シダックス時代を振り返って、こう語っているのを聞いた。

「あの頃が一番楽しかったな……」

 プロ時代と比べて、待遇面や注目度では決して恵まれていたとはいえない3年間。しかし、野村は真剣に野球へと打ち込み、若き力と接することで、再起へのきっかけをつかんだ。

 どのような環境であっても、前向きに全力で取り組むことが、現状を打破する唯一の方法である――。

 あの3年間、番記者だった私が学んだことだ。脳内では今も、野村のこんな言葉がリフレインしている。

「『一生懸命に勝る美しさはなし』ってな。一生懸命な選手がいいよな。使いたくなるんだよ。俺も若い頃、そうだったから」

「野村再生工場」という言葉がある。ピークを過ぎて他球団をお払い箱になった選手たちが、野村からの助言やその思考に触れることをきっかけに復活する例が相次いだところから、球界での通称となった。

 そんな野村自身も指揮官として「再生」したのが、シダックス時代の知られざる3年間だったのだ。

加藤弘士(かとうひろし)
スポーツ報知デジタル編集デスク。1974年、茨城県水戸市生まれ。慶應義塾大学卒業後、97年に報知新聞社に入社。2003年からアマチュア野球担当として、シダックス監督時代の野村克也氏を取材する。09年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。

週刊新潮 2022年3月31日号掲載

特別読物「『あの頃が一番楽しかった』――『野村克也』空白の3年」より

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