ロシア製核爆弾の原点、プーチンが最高の勲章を与えたスパイ「デリマル」の正体

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 日本の公安警察は、アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)のように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、ソ連の核爆弾の開発に多大な貢献をしたスパイについて聞いた。

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 2007年11月2日、ロシアのプーチン大統領は、その前年の1月に亡くなったジョルジュ・コワリに、国家の英雄に与えられる「金星勲章」を授与すると発表した。これは、ロシアでは最高峰の勲章である。

「コワリは日本では無名の人物でした。そこで当時、公安部外事1課の分析班がコワリのことを調べると、公安の古い世代など、ごく一部で彼の存在が知られていることが分かりました」

 と語るのは、勝丸氏。当時公安部外事1課に所属していた同氏は、ロシアを担当していた。

「第二次世界大戦中、アメリカは暗号名『マンハッタン計画』という原爆開発計画を立てました。コワリはこの計画の最高機密を入手し、原爆を開発中のソ連に伝えた大物スパイでした。コードネームは『デリマル』です」

かけがえのない足跡

 プーチンは勲章授与を発表した際、コワリを「核兵器の開発という当時の最重要任務にかけがえのない足跡を残した」と絶賛している。

「2002年にロシアで出版された『GRUと原爆』という本にデリマルのことが紹介され、初めてその存在が明らかになりました。本名は隠されていましたが、プーチンが突然、金星勲章を与えたため、デリマルがコワリであることが明らかになりました

 コワリは1913年12月25日、アメリカのアイオワ州スーシティでユダヤ系ロシア移民の家庭に生まれた。アイオワ大学で電気工学を学んだ後、1932年、一家はソ連へ移住する。モスクワ化学工科大に入学し、大学院まで進んだ。

「第二次世界大戦中、GRU(軍参謀本部情報総局)の前身である赤軍参謀本部情報局が、ネイティブと同じ英語を話せるコワリをスカウトし、スパイ訓練を積ませた。そして1940年、アメリカに潜入させるのです」

 コワリは、アメリカではジョージ・コーヴァルと名乗りアメリカ人になりすました。

「米軍に徴兵されたコワリは、科学専門知識が認められ、ニューヨークのシティカレッジ(現ニューヨーク市立大学)に入り、放射性物質に関する研究に携わるのです」

 これがきっかけで、後に原爆開発に関わるようになった。

「1944年8月、彼はテネシー州オークリッジに派遣されます。ここには、マンハッタン計画では欠かせないウラン精製工場がありました。コワリは、当初被爆安全管理を担当しますが、専門知識が買われ、ウラン濃縮やプルトニウムの生産工程を研究するようになるのです。彼はそれらの生産工程を細かくソ連に伝えていました」

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