1995個で1位の「清原超え」も秒読みに…球史に残る“三振王”を振り返る!

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「また勲章が増えたね」

 この“鉄人”の大記録を更新したのが、ダイエー時代の秋山幸二だ。2000年6月1日の日本ハム戦、この日までに通算1587三振で並んでいた秋山は、7回1死一、三塁のチャンスで、生駒雅紀の143キロを空振りし、最多三振記録を更新した。

「また勲章が増えたね」と王貞治監督に祝福された秋山は、「これだけ頑張って試合に出たんだから、いい記録か悪い記録かは、(現役が)終わってみないとわからないよ」と20年も現役を続けられたことに感慨深げだった。

 たまたまこの日は、衣笠氏も解説の仕事でネット裏から自らの記録が抜かれる瞬間を目撃していた。朝日新聞社のコラム「衣笠祥雄の鉄人野球帳」のなかで、「複雑な気持ちだった。喜んでいいのか、秋山君に悪いのか。ユニホームを脱いで13年。やっと後輩が抜いてくれたというのが、正直な胸の内だ」と思いのたけを綴っている。

 ちなみに、衣笠氏は1987年限りで現役を引退する際に、自らの三振記録を抜く候補者として、広沢克己と池山隆寛(いずれも当時はヤクルト)、秋山、清原の4人を想定しており、見事予想が的中した形だ。結局、秋山は2002年までプレーし、記録を「1712」(現在は歴代5位)まで伸ばした。

 そして、秋山引退から2年後。今度は衣笠氏が名前を挙げた1人である、清原(当時は巨人)が三振の日本記録を塗り替えることになる。

「西武の主砲」が記録を塗り替える

 04年4月4日の阪神戦、3回と6回の打席で、下柳剛の前に連続三振に倒れ、西武時代にクリーンアップを組んだ秋山の「1712」に並んだ。そして、8回無死。この回からリリーフした3番手・吉野誠にも三振を喫し、ついに歴代単独1位に。秋山が2189試合かけてつくった記録を、74試合少ない2115試合で塗り替えた。

 この年の清原は、通算2000安打を筆頭に、500本塁打、1500打点、1500四死球など球史に残る各記録を射程圏にとらえていたが、それらよりも早く三振記録を更新することになり、「気づいたら、そういう数字になっていた」と、プロ19年目の歳月の重みを嚙みしめていた。

 冒頭で触れたように、中村が清原の記録を14年ぶりに更新するのは、ほぼ確実だが、平成以降、秋山、清原、中村と、いずれも西武の主砲を担った選手たちのリレーによって、日本記録が塗り替えられているのは、偶然とはいえ興味深い。

 現在のランキングを文末に記載したが、1位・清原、2位・中村に次いで、谷繫元信(横浜など)、山崎武司(中日など)、秋山、金本知憲(広島など)、新井貴浩(広島など)、中村紀洋(近鉄など)と、40歳過ぎまでプレーした息の長い選手が顔を並べている。その一方で、王貞治(巨人)が「1319」で22位、落合博満(ロッテなど)が「1135」で上位40傑にも入っていないのは、さすがと言うべきか。

【プロ野球三振王ランキング】
1、清原和博(西武など)1955三振、2338試合
2、中村剛也(西武)  1932三振、1882試合
3、谷繁元信(横浜など)1838三振、3021試合
4、山崎武司(中日など)1715三振、2249試合
5、秋山幸二(西武など)1712三振、2189試合
6、金本知憲(広島など)1703三振、2578試合
7、新井貴浩(広島など)1693三振、2383試合
8、中村紀洋(近鉄など)1691三振、2267試合
9、ローズ(近鉄など) 1655三振、1674試合
10、衣笠祥雄(広島)  1587三振、2677試合
※中村剛也の成績は4月17日時点。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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