柔道 全柔連が「小学生の全国大会」廃止 “行き過ぎた勝利至上主義”は好ましくないというが

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 JOC(日本オリンピック委員会)の山下泰裕会長が会長を務める全日本柔道連盟(全柔連)が3月18日、主催していた「全国小学生学年別全国大会」を今年度から廃止すると発表し、波紋を呼んでいる。同連盟は廃止の理由を「昨今の状況を鑑みるに、小学生の大会においても行き過ぎた勝利至上主義が散見されるところであります。心身の発達途上にあり、事理弁別の能力が十分でない小学生が勝利至上主義に陥ることは、好ましくないものと考えます」などと説明している。その後の報道によれば、小学生に無理な減量を課している、父母が審判の判定に激しく抗議する事例が多発している、といった事実がこの決断の背景にあるという。

 この一報を聞いて、それもひとつの選択だろう、と私自身、前向きな感想を抱いたのは確かだ。すぐ次に、小学生の大会を廃止するだけで本質的な改善ができるのか? との疑問も湧き上がった。【小林信也/スポーツライター】

日本柔道界の姿勢に疑問

「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」と言うが、いま日本の柔道界そのものが、勝利至上主義を基軸にしているのではないか? 私には「オリンピックの金メダル獲得」を最高の価値として強化や普及に取り組んでいる、つまり勝利至上主義に取り憑かれた組織に見える。昨夏まで日本代表監督を務めた井上康生氏が高い評価を受けたのも、リオ五輪で男子は全階級でメダル獲得を果たし、東京五輪でも9個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得したからだ。ファンやメディアも同じ。勝つこと以外の明確な評価基準は共有していない。結果以上に特筆すべき貢献があったかどうかは、吟味も報道もほとんどされていない。勝たせた手腕ばかりが賛美されていた。もちろん、それが監督の使命だろうが、では組織として重要な普及だとか、柔道の社会的意義を高めるといった公共的な意識の発信や共有は重視されているだろうか。

 私は東京五輪の男女混合団体の決勝で日本が敗れたことをほとんど問題視しない柔道界や日本のメディア、ファンの現状に暗然としている。それまでに十分なメダルを獲ったから、団体戦の取りこぼしはご愛嬌といった空気が否めない。決勝でなぜフランスに敗れたのか? 敗北を責めたいのでなく、フランスの勝因やその背景を敬意を持って直視する謙虚さえ感じられなかった。フランスの方がずっと柔道の普及が進み、日常的に多くの子どもたちが柔道に親しんでいる、とも聞かされている。だとすれば、そうした全体的な差が出たのではないか? 代表クラスの選手強化が進んでいるから柔道界は大丈夫なのか? 強いか弱いかの問題を超えて、柔道が社会でどんな役割を担い、果たしているか。フランスと日本の本質的な差が結果となって表れたのではないか。その観点から、日本柔道界が課題を共有し、懸命に解決に取り組んでいる姿勢は伝わってこない。

 全柔連が小学生の全国大会を廃止した背景に「無理な減量」や「審判への口汚い抗議」が指摘されている。これらはいずれも、「大人たちの罪」であって、反省や改善を求める対象は大人のはずだ。それなのに、大人たちに警鐘を鳴らし、注意を与えるのでなく、いきなり子どもたちの機会を奪うのは筋が違う。なんと乱暴な所業かと思う。また、勝利至上主義の行き過ぎは、参加する指導者や父母だけにある言い方だが、これを是正するための方策を主催者が考え、提示するのが本来ではないか。

 本質的には、勝負だけでない柔道の喜びや目的を体感させる手立てが主眼だろう。そのために、例えば、個人戦はやめて各都道府県対抗の団体戦にするとか、競技以外の練習会や交流会をプログラムの中で重視するなど、いろいろな考えを出し合うことも手がかりになるだろう。そうした対策や努力を十分にせず、大会を廃止するのは、全柔連による、小学生やその指導者、全国の道場に対するパワハラにも等しい、という見方もする必要があると感じる。

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