「人類初」南極の巨大氷山の下を“潜る” 究極の危険に挑む「水中探検家」という職業

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 地球内部に広がり、酸素も光も届かず、人間の侵入を拒む空間――それが水中洞窟です。

 女性洞窟ダイバーの先駆者が死と隣り合わせの危険な冒険の数々を描いた『イントゥ・ザ・プラネット』の一部を、抜粋・再編集してお届けします。

 著者のジル・ハイナースは、ナショナル・ジオグラフィックのプロジェクトで南極に赴きます。地球上で最も長い漂流物として知られた、ある氷山の中にある洞窟に、人類で初めて潜ることになったのです。12日間もの航海を経て南極に到着した後、ついに潜水のチャンスが訪れたのですが、そこで待ち受けていたのは極限を超えた世界でした。

目標の氷山を発見!

 その日の朝はゾディアックボート〈エンジン付きゴムボート〉で過ごし、B-15(当時、世界最大だった氷山)から切り離されたと思われる、頂上が平らで巨大な氷山を発見した。それはすでに多くの氷の欠片となって割れ始めていた。仮説を裏付ける衛星写真を見ることはできていなかったが、この推測自体は的を射たものだった。そしてB-15氷山の多くは――この氷山はジャマイカほどの大きさがあるとされている――私たちの南方にある氷山の連なりに閉じ込められている。目の前の氷山を覗いて見る時が来たようだった。私たちが選んだ氷山には巨大なクレバスが横断していて、もしその氷の裂け目に直接入ることができたら、氷山の中へと、可能な限り深く入り込み、そしてそのスポットから下降していくことで、さらに多くの水中洞窟を探すことができるだろう。

入念な準備をして、いざ水中へ

 私たちは最新の防護服を幾重にも身につけた。ドライスーツの下には何枚も下着を重ね、できるだけ暖かさを確保できるようにし、腰の辺りには電池式の小型温熱パッドを入れて体の芯を暖められるようにした。20パウンド(約9キログラム)の余分な重量がかかるけれど、水温が海水の氷点からわずか10分の1度しか差のない華氏28度(摂氏マイナス2.2度)の場合、それでも価値がある。この断熱装置がなければ、人間はその水温では数分しか生きられない。最先端のダイビング道具を使ったとしても、私たちが水面下で安全に過ごすことができる時間は極端に制限されていて、私は不安だった。この航海に出るまで、凍てつく水へのダイビングを約30分に制限していた。それなのに今回は、1時間のダイビングを予定していて、減圧のためにそれよりも少し長く潜る必要があった。リスクは明白だ。それ以上潜り続ければ低体温症になってしまう。さらに悪いことに、水中の温度よりも外気温の方が明らかに低かった。それは、水面に浮かんでいる時間は水面下にいる時間よりも危険という意味だ。船から離れ、水面で待っているだけで命を落としかねない。

 ポール(ジルの当時の夫。洞窟ダイビングのインストラクター)と私は最初の飛び込みを単独で行う準備をし、ウェス(世界トップクラスの探索ダイバーで映像作家)はダイビングを諦めた。ドライスーツに水が入ってしまったので、ポールと私が重要な何かを見つけたことを確認してから自分は飛び込みたいと言った。私たちはぎこちない足取りでゾディアックボートに乗り込み、ウェスはボートを操縦して氷山に走る亀裂部分の中央に私たちを連れて行った。進行方向にある氷の塊を木製のパドルで避けて、カメラを構えつつ後転し、安全な状態で水に入ることができるようにした。

冷たすぎて痛みを感じる南極の海

 水に入るとすぐに、強烈な痛みが襲ってきた。体全体に、アイスクリームを食べたときに感じる頭痛のような痛みが広がったのだ。私はまぶたをぎゅっと閉じて、息を止めた。かき氷のような氷の層を抜けるようにして潜り、両目を開けるとマスクメロンほどの大きさの氷塊が漂うのが見えたが、焦点が定まらず、環境に順応できないでいた。マスクを冷たい水で洗い、喘ぎながらも過呼吸にならないように我慢した。溶けかかった氷、淡水、海水が混ざり合った水はドロドロとして見通すことができず、刺すような冷たさが視界を不鮮明にした。遮る氷を動かそうとしながら、自分たちの足下に何がいるのか考えずにはいられなかった。ヒョウアザラシ、鮫、多種多様な捕食動物が近くに潜んでいるかもしれない。

 自分を安心させるために、私はカメラを溶けかけた氷の層に突っ込んで周囲を見た。水は白から青に色を変え、その色は端の辺りで溶けて影となっていた。冷気の衝撃は徐々に和らいでいたが、足先には焼けるような痛みを感じていた。私が最初に飛び込んだのは視界が不鮮明な移行帯で、美しくて広いクレバスは下降していき視界から徐々に消えた。深い裂け目は、隆起する氷の表面に捉えられた日の光で輝いているように見えた。足元は漆黒の闇だった。氷山の壁はくぼみ、ひらひらと泳ぐ親指ほどの大きさの透明な魚の目は、洞窟用ライトに反射して、まるで訪問者に驚いているようだった。氷の壁の巣穴に逃げ込んだが、その目は深く潜っていく私たちをしっかりと見つめていた。私は自分たちがいる裂け目のことが気になってきた。これはもっと遠くまで裂けて繋がっているのか? 潮の流れが変わって、勢いよく閉じてしまう可能性はないのか? 私はネガティブな考えを急いで払いのけ、自分が泳いでいるクリスタルの城の、荘厳な雰囲気に集中した。

暗闇の世界に生きるカラフルな生物たち

 闇に向かって下降し、大型のキャニスターライトを点灯したが、巨大なスペースのわずかしか照らすことはできなかった。そこは完全な無音状態で、私のリブリーザーのクリック音とシューシューという音しか聞こえなかった。この初めての環境のあまりの偉大さに完全に魅了されていたものの、定期的に無線機をチェックし、浸水時間と深度、減圧時間、TTS〈浮上時間〉、吸っている酸素の濃度や酸素分圧〈呼吸ガスに含まれる酸素の圧力〉を観察していた。マスクの隅にあるヘッドアップ表示装置が――赤、黄色、そして緑のライトが並ぶ――私の生命維持状況を要約して表示していた。符号化された点滅は、リブリーザーの機能すべてが問題なく動いていることを示していた。

 ポールは私の左斜め後ろにいた。私は自分の右方向にある大きなトンネルが氷山に消えていく様子と、複数の色を持つ毛足の長い絨毯のような生き物が迎えに来たのを見た。海底から130フィート(約40メートル)の地点に到達していた。手首用コンピューターに視線を落とすと、この地点に到達するのに15分かかっていることがわかった。氷山は太い柱で海底に固定されており、剥き出しの状態の通路が5フィート(約1.5メートル)ほどの高さで残されていた。その下側は探索が完全に私たちのものになっていた。私が探していたのは、まさにこのような場所だった。

 ターコイズブルーの天井の下、洞窟の床には見たこともないような景色が広がっていた。鮮やかな暖色の生き物が密生したカーペットのようだった。鮮やかな赤やオレンジの塊になった海面、ひらひらと揺れるフィルター・フィーダー〈水中でプランクトン類を濾過して食べる生き物〉、見たこともないような生き物が、びっしりと床を覆っていたのだ。巨大なゴキブリのような等脚類が、風に揺れる小麦畑のような底生生物の間を泳いでいた。黒とオレンジのピンストライプ柄のアロークラブがいて、細くて長い爪楊枝のような脚で海底を移動していた。生態系が完全に孤立した状態で、暗闇のなかで未知の世界が息づいている。これには畏敬の念を抱いた。

海面に上がれない危機が発生!

 ポールと私は横に並んでゆっくりと漂い、全てを撮影しながら氷山の中に入っていった。この洞窟は私たちの映像を特別なものにしてくれるだろう。その時突然、静寂が水中に響き渡る深い奇妙な音で破られた。船のエンジン音? それとも別の何か? その時点で泳ぎだしてから45分ほど経過していて、そろそろ引き返すべきだと思っていた。探検に値する何かを見つけてはいたものの、それを撮影するならもっと大きなカメラもビデオ用ライトも必要で、そんなものは持ってきていなかった。私はポールの方を見て、親指を上方向に立て、後退すべきだと伝えた。私たちは向きを変えて、上から差し込んでくる薄明かりを頼りに、ゆっくりと元の場所に戻っていった。水面近くになりゾディアックボートを見て、何かが変わっていることに気づいた。光はその時も私たちの方に差し込んでいたけれど、形を崩し、影のように見えた。裂け目を通って泳いでみて初めて、ほんのわずかな青い水面が消えていることに気づいたのだ。頭上の散光の中には、白い氷塊が見えるだけだった。

 私はポールが大量の氷の隙間に出口を探している姿を見ていたが、それでも自分たちの状況が深刻だと気づいていなかった。出口がなくなってしまったというのに、そこに閉じ込められてしまう可能性にすぐには反応できなかった。

 でもその瞬間、アドレナリンが体中を駆け抜け、熱を感じた。恐怖に対する反応だ。私はポールと一緒に氷塊から抜け出す出口を探し、大きな塊を避けようと必死になった。

 そしてようやく、青い水面に繋がる隙間を見つけ出した。大きな氷の板を取り除き、浮上する前に必要な5分間の安全停止を行う場所を確保した。何が起きたのかその時もまだ完全には理解できていなかったが、水中からウェスとマットがハイタッチをして抱き合ったのが見えた。ポールと私は水面への上昇を終えて、明るく晴れ渡る肌寒い天候のなか、浮上を終えた。

帰りを待つ人々

 私たちよりも、船に残った同僚にとって、この状況は身震いするほどの恐怖だったそうだ。私たちが戻るのを待っている間に、大きな氷壁が崩れて水中に落下し、あと少しでゾディアックボートに衝突するところだったらしい。落下で発生したうねりがもう少しでボートを転覆させ、水没するところで、ウェスとマットは猛スピードで操舵部に飛び込み、船底に溜まった水で濡れてしまったという。降り注ぐ太陽の熱で氷山は溶けていて、その溶け出した水が不安定な状況を生み出していた。残りの氷のくさびが、洞窟への入り口を塞いでいた。「死んだかと思ったぞ!」と、浮上してきた私たちにウェスは言った。

 ダイビングの後は、目が覚めたような気分だった。ウェスとマットは、何か起きたとしてもできることはないと知っていたから私たちのことをとても心配していた。新しい出口を探すことができるのは潜っている私たちだけだった。もし戻らなかったとしても、私たちの捜索は行われない。こんな恐怖を経験した後でも、ポールと私は氷山でのダイビングがどれほど危険なものかを、十分に把握できていなかった。私たちは、一旦潜ってしまえば全責任を負うという覚悟で仕事を続けるしかない。

 ***

※『イントゥ・ザ・プラネット―ありえないほど美しく、とてつもなく恐ろしい水中洞窟への旅―』の一部を、抜粋・再編集したものです。

Jill Heinerth(ジル・ハイナース)
洞窟探検家、水中探検家、作家、写真家、映画監督として活躍。ナショナルジオグラフィック・チャンネル、BBCなどのテレビシリーズにも出演すると同時に、ジェームズ・キャメロン監督などの映画の技術指導も務める。フロリダとカナダを行き来しながら活動している。

デイリー新潮編集部

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