30代AIベンチャー企業経営者の論考が「高校教科書5冊」に採用 AIに関する知識はもはや必須なのか?

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 2022年の新学期、進級進学した児童、生徒たちには、それぞれの教科書が配られる。この一年、どんな勉強をするのだろうと、ドキドキしながら開いた記憶もあれば、積み重なった分厚さと重さにどんよりした気分もときおりよみがえってくる。

 この教科書、教育関係者を除けば、各出版社のものを読み比べる機会はなかなかないことなのであまり意識することはないが、ひとつとして同じものはない。文科省の指導要領にしたがいつつも、各社、より多くの学校に採用されようと趣向を凝らして渾身の一冊を作るのだから、当たり前といえば当たり前の話なのだが、2022年は、なんと同じ筆者による作品が、4社、計5冊の教科書に載ることになったのだ。

 もちろん、これが夏目漱石や芥川龍之介といった「文豪」や著名な評論家なら今さら話題にもならないが、その人選が興味深い。

 教科書出版各社が子どもたちに触れさせるべきと考えたのはAI研究者の松田雄馬さん(39)の論考だ。第一線の研究者でありながら、大手企業のDX推進を支援する会社の経営者でもある。彼の作品が高校1年生の現代文にこぞって採用された。

 採用した出版社は「東京書籍」「明治書院」「大修館書店」「三省堂」で、選ばれたのは『人工知能はなぜ椅子に座れないのか』(新潮社)と『人工知能の哲学』(東海大学出版部)、そして岩波書店の書評誌「図書」に掲載された彼のコラム。特に「なぜ椅子」は三つの教科書に掲載される。

 松田さんは言う。

「多くの教科書に採用されたことは、とても名誉なことで、嬉しく思います。私自身、研究をしながら、小学生から大学生、社会人といった人たちと科学実験などを通じて交流を行ってきました。著書を執筆する際は、そうした多くの人たちの顔を思い浮かべます。科学を通して未来に希望を持てればという強い想いを込めたので、今回の教科書を通して、高校生の皆さんがどう感じるか、とても楽しみです」

 そんな松田さんは、1982年徳島生まれの大阪育ち。2001年に京都大学工学部に入学して、同大学院修士課程修了したというから、根っからの関西人だ。その後NECの研究所で人工知能の研究開発に従事しながら、MITメディアラボや香港の通信事業者、東北大学との共同研究等にかかわり、2016年に独立して現在は株式会社オンギガンツ代表取締役であり、一橋大学大学院で非常勤講師も務める。

“椅子とは何か”

 これまでにAI開発の入門書、技術書も含め7冊の本を執筆してきたが、最も多く採用された「なぜ椅子」の中から、タイトルにもつながる重要な問いかけを引用してみよう。もちろん教科書にも載っている一節だ。

〈人間のような「知能」が実現できるかどうかを論じる上で、「意味」というものは、重要なキーワードです。そこで、ある問いについて考えてみたいと思います。

 コンピュータに、「椅子とは何か」を教える方法には、どのようなものがあるでしょうか。この問いについて考えることで、人間が「椅子」をはじめ、ものを認識する際に脳内で起こっていることが明らかになってきます。

 たとえば、椅子を、「形」の特徴によって教えるという方法を考えたとします。「四つの脚と座部と背もたれを有する形状」などといった特徴です。この方法の問題点は、必ず「例外」が生じるということです。椅子というものは、必ずしも四脚ではありません。しかし、「必ずしも四脚でなくてよい」などとすると、今度は、椅子でないものまで椅子に含まれてしまい、収拾がつかなくなってしまいます。普段、私たちが何気なく知っている(認識している)「椅子」という概念でさえも、そのメカニズムには、謎が多く含まれているのです。〉

「あたたかいコンピュータ」を作れないか

 そもそもAIとはいったい何なのか――という根源的な疑問について、誕生プロセスを17世紀までさかのぼり、AIの可能性と限界を論じたのが、この本の概要だが、そこに一本貫かれるのは、なぜか「生命とは何か?」という大きなテーマ。執筆する際に松田さんが常に頭に浮かべていたのは「あたたかいコンピュータ」の存在だったという。

 生命? あたかいコンピュータ? しかも椅子!? なんだ、なんだ、この本は?

 松田さんがこんな説明をしてくれた。

「コンピュータとかデジタル、AIってどことなく冷たい感じがしますよね。でも、実際にそれを使うのは温かい生身の人間ですし、人間はあくまでも生き物、生命ですからコンピュータにあわせて冷たくなれません。だったらコンピュータを可能な限り人間に寄り添わせられないか、“あたたかいコンピュータ”を作れないか、と考えるようになったんです。そのためには、まず生命とは何かを知ることからはじめなければならない。生命っていったい何だろう――。この問いかけがこれらの本であり研究を貫く私のテーマなんです」

 ちなみに、今回の教科書改訂においては論理性とか情報科学についての言及が求められたそうで、ついには国語の世界にも数式だらけのプログラミング教育が進出してきたか、と思っていたら、どうやらそうではかった。求められるのはむしろ使う方の問題ということか。

「もはやデジタル、AIなしに生きていくのは難しい時代になりました。でもAIによって効率化ばかりを追求してしまっては、本来、楽になるはずの人としての暮らしは余計にしんどくなりますし、頼りきって夢まで持てなくなっては、それこそ本末転倒です。そうならないためにも、まずは自分が生命を持った人間だということをしっかり認識してもらい、じゃあ人間らしく生きるためにAIには何をしてもらおうか、AIを利用すればこんな夢もかなえられるね、とか……。子どもたちにはそんなイメージで読んでもらいたいですね」(松田さん)

 これこそが、これからAI時代に生きてゆく高校生、「未来の大人」たちが身に付けるべき基礎教養なのだろう。

 でも、その前に、「早くAIを活用したビジネス展開を」「ウチのDXはどうなっているんだい!」と焦りまくって、コンピュータに振り回されっぱなしの「今の大人」……読めば少しはホッとするかもしれない。

デイリー新潮

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