中日・立浪監督が振り返る、現役終盤の「代打時代」 「腹が立ったけど、それも勉強」(小林信也)

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代打サヨナラヒット

 それから15年以上が経った。立浪は言う。

「あの時は腹も立ちましたけど、代打で使ってくれたんだから、それも勉強です」

 すべてを前向きに捉える立浪らしい健気さが痛々しくも清々しく感じられた。

 あの年、中日は終盤まで阪神と優勝争いをしていた。中日ファンにとって忘れられない一打は、マジック6で迎えた10月4日の広島戦の最後に生まれた。

 9回裏1死一、二塁、2対2の同点。立浪が代打で登場すると、ブラウン監督は左腕の高橋建を救援に送った。ナゴヤドームのボルテージは最高潮に達した。ボールが続き、カウントはノースリーになった。スタンドから「狙いうち!」の大合唱が起こる。4球目。立浪は真ん中の速球を右中間に弾き飛ばした。打った瞬間、中日ナインはベンチを飛び出し、優勝が決まったような大騒ぎで立浪をもみくちゃにした。それは優勝に弾みをつける一打であると同時に、シーズン中、ずっと立浪の無言の我慢を見つめ続けてきたナインとファンのモヤモヤが吹き飛んだ瞬間でもあった。

 現役引退から12年。予想外に長く待たされ、ようやくドラゴンズ・ファンは立浪監督とシーズンを戦う「念願の時」を迎えた。

「石川昂弥、いいですよ。彼が活躍してくれたら楽しみです」

 高卒3年目のホープの名を挙げる立浪監督の声はえらく弾んでいた。今年のナゴヤは、勝っても負けても熱い日々で満たされそうだ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年3月24日号掲載

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