島民が甲子園に殺到!選抜高校野球、ファンの記憶に残る“離島勢の大健闘”
離陸が遅れるハプニング
一方で、「日本最南端の高校が甲子園出場」と話題を呼んだのが、2006年、沖縄・石垣島から初出場した八重山商工だ。野球部監督派遣事業を推進した大浜長照石垣市長が02年、地元少年野球チーム・八重山ポニーズの創設者で、全国制覇や世界3位の実績を持つ伊志嶺吉盛監督を同校の監督に派遣したのが、すべての始まりだった。
大嶺祐太(現中日)をはじめ、伊志嶺監督が小学生(八島マリンズ)のときから手塩にかけて育ててきたメンバーを主力とするチームは、05年秋の九州大会で準優勝。翌春のセンバツに21世紀枠導入後、離島勢で初めて一般枠で選出された。
島始まって以来の快挙に島民も熱狂。3月23日の開会式では、石垣空港の乗客が入場行進のテレビ中継見たさにロビーを動かず、離陸が遅れるハプニングも起きた。
「大舞台でも物怖じしないで」
そして、1回戦の高岡商戦では、最速145キロ右腕・大嶺が毎回の17奪三振。5回に失点2が相手のミス(ベース踏み忘れ)で取り消しになる幸運も味方し、5対2で見事甲子園初勝利を挙げた。
2回戦でも、優勝校の横浜に0対7とリードされた直後の6回、初戦に左打席から先制ソロを放った金城長靖が、今度は右打席からの2試合連続弾で反撃開始。8回にも6連続長短打などで1点差に詰め寄った。
さらに9回も2死二、三塁と最後の意地を見せたが、あと1歩及ばず、6対7で惜敗。歴戦の名将・渡辺元智監督も「大嶺君が先発だったら(この日の大嶺は4回途中からリリーフ)勝てなかった」と冷や汗をかくほどの大善戦だった。
「島の子たちが大舞台でも物怖じしないでふだんどおりの野球ができました」(伊志嶺監督)と甲子園で大きく成長したチームは夏にも甲子園に出場し、新たなドラマを生み出した。
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