「さわやかイレブン」池田の快進撃…紅白戦も組めない小所帯のチームがセンバツで果たした“快挙”

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新チームで部員12人

 今年で第94回を迎える選抜高校野球。21世紀枠で選ばれ、春夏通じて甲子園初出場の只見(福島)は部員13人と少人数だが、過去にも紅白戦も組めない小所帯のチームが何度かセンバツの舞台を踏んでいる。その先駆け的存在が、1974年にセンバツ初出場をはたした“さわやかイレブン”と呼ばれた池田(徳島)である。【久保田龍雄/ライター】

 1980年代に“やまびこ打線”で、春夏併せて3度の全国制覇を成し遂げた“伝説のチーム”も、当時はまだ無名で、3年前に蔦文也監督が就任20年目で悲願の夏の甲子園初出場を実現したばかりだった。

 この快挙の翌年、同校に入学した世代が主力になっていたが、厳しい練習に音を上げたり、学業との両立ができなかったり、さまざまな理由で退部者が相次いだ結果、秋の新チームの時点で部員は12人に減っていた(その後、11人になった)。

 激しいノックの雨に気力も尽き、グラウンドに倒れ込んだ部員に対し、蔦監督が「やめてしまえ!」と罵声を浴びせると、「ハイ、やめます」とそのまま帰ろうとしたため、慌てて追いかけて引き留めたという話も伝わっている。

替えの下着を1枚しか持たずに

 そんな猛練習に最後まで耐え抜いた連帯感で結束したチームは、秋の徳島県大会で準優勝すると、四国大会でも優勝候補の高知をロースコアの接戦で下すなど、堂々の準優勝。平均身長170.3cmと小柄な選手がほとんどのなか、唯一身長180 cm台だったエース・山本智久は抜群の安定感を誇り、翌年2月1日の選考委員会でも「投手力の優れた池田は文句なし」とすんなりセンバツ切符を手にした。

 そして、開会式直後の第1試合、函館有斗戦に登場した池田は1対1の3回2死三塁、雲本博の意表を突く本盗で勝ち越し、センバツ初勝利を挙げる。

 2回戦も集中打で防府商を3対1と下すと、準々決勝では倉敷工に延長12回の末、2対1と競り勝ち、準決勝の和歌山工戦では山本が4安打完封。初戦敗退も覚悟して替えの下着を1枚しか持たずに甲子園入りしたチームが、気がついてみれば、決勝に駒を進めていた。

 相手は多くの部員を抱える名門・報徳学園。3連投の山本が1対1の8回に2点を勝ち越され、ついに力尽きたが、蔦監督は「一丸になって選手が思う存分やってくれた」とイレブンの大健闘に賛辞を惜しまなかった。

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