【カムカム】安子・るい・ひなたを結び付けた「カムカム英語」平川唯一さんの功績
平川さんが求めたもの
平川さんは3人のヒロインのルーツである岡山で生まれ、この物語の最大のテーマである「ひなたの道」を歩いた。物語の最初の舞台に岡山が選ばれた理由の1つも平川さんの故郷だからに違いない。
ひなたの道とは「自分が納得して歩ける道」、「自分の居場所となる道」。過去のセリフから、そう読み解ける。
「決めたんです。ひなたの道を歩いていく、その姿をるいにも見せるって」(安子、第25話)
平川さんは1918年に渡米した。留学ではない。事業に失敗して米国へ出稼ぎに行った父親の後を追ったものだった。当時の平川さんは16歳。アルファベットすら知らなかった。
渡米後の平川さんは鉄道の保線員などをやりながら、現地の小学校に入る。その後も苦学を続け、29歳でワシントン州立大を卒業した。首席だった。
1937年に帰国。NHKの国際放送のアナウンサーになる。終戦時には玉音放送の英訳版を世界に向けて読み上げた。戦後はGHQ最高司令官・マッカーサーの通訳も務めた。岡山が生んだ立志伝中の人だった。
けれど、自分から地位や名誉を求めたことはなく、目指したのは「戦後の日本を明るくする」ことと英語の普及。だから「カムカム英語」には日本の家族内のほのぼのとしたエピソードが採り入れられた。
第24話で安子が聴いた「カムカム英語」では父親が幼い娘を起こした。もちろん英語。朗らかな内容だった。けれど安子は泣きそうになってしまう。稔がるいを起こす日は永遠に来ないからだった。
その直後、父娘が仲良くラジオ体操に興じるというエピソードも流れた。これも明るい話だったが、安子は陰鬱な表情になる。稔とるいがラジオ体操をする姿を思い浮かべてしまった。
だが、物語は悲しいままでは終わらなかった。安子が夢見たことを、平和な時代の錠一郞とひなたが実現させた。第63話で10歳のひなたと錠一郞は河川敷でラジオ体操に興じた。第68話での錠一郞はラジオの英語講座を聴き始めたのに寝坊する11歳のひなたを起こした。
ジョーは今もトランペットが吹けない。大月家の台所事情は楽ではないはず。それでも一家が幸せなのは疑いようがない。家族そろって明るく暮らすという安子の願いをかなえているのだから。あらためて藤本有紀さん(54)の脚本は深い。
「カムカム英語」は大勢のファンを得た。リスナーだったのは上皇后さま(87)、ソニー創始者の故・盛田昭夫さん、英文学の権威で熊本大名誉教授の福田昇八氏(89)、音楽評論家の湯川れい子さん(86)…。
世界のソニーを作り上げた盛田さんは生前、平川さんに最大級の賛辞を送った。
「経済大国となった日本の浮上の原動力となったのがカムカム英語だと信じています」(盛田さん)
だが、当の平川さんはNHK退職後もやっぱり地位などを求めず、私塾「カムカム英語センター」を開き、ひたすら英語の普及に努めた。平川さんは生涯、ひなたの道を歩き続けた。「自分が納得できる道」、「自分の居場所となる道」である。
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