「プーチンは狂っている」――そう判断した時、私たちの敗北は始まる

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 時々刻々、深刻化するウクライナ情勢に「プーチンは正気か」「プーチンはボケたのか」という言説が取り沙汰されている。もちろん、この21世紀に起こったこの事態を目の当たりにすれば「正気ではない」と評価するのが妥当であろう。「正気ではない」からこそ、あらゆる経済制裁にも外交措置にも揺るがず、それどころか「核兵器使用」や「欧州全面戦争」をちらつかせて、逆にプレッシャーを与えてくる。

 したがって「ついにプーチンは狂った」と、捉えなければ、この事態を理解することは難しいし、今後の対応も取りにくい。しかし、「狂った」と思わせること自体がプーチンの策謀だったとしたらどうだろうか?

 これは、かつてベトナム戦争時にニクソン大統領が密かに用いた「マッドマン・セオリー(狂人理論)」に通じるものがあり、外交交渉においては、決して無視してはならないものである。

 プーチンが狂人か、否か――その判断を下すヒントは彼の過去に示されていた。

 以下、プーチン研究の第一人者、米ブルッキングス研究所のシニアフェロー、フィオナ・ヒル氏が著した『プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―』より、ニクソンの「狂人理論」ともとれるプーチンの「策謀」について紹介しよう。

「危険を察知する感覚が鈍い」

(2014年の)ウクライナ危機の最中、プーチンが危険なリスクを冒す無謀なギャンブラーだという説が一般的に認められるようになった。この主張は、プーチンがKGB時代の教官たちに「危険を察知する感覚が鈍い」と指摘されたという真偽不明な話に基づいたものだ。

 近年の関連本でさも新事実であるかのように紹介されることがあるが、プーチンの2000年の自伝『プーチン、自らを語る』の読者にはすでにおなじみのエピソードである。プーチン自身の説明によると、KGB赤旗大学で学んでいたころ、「危険を察知する感覚が鈍い」ことが非常に「重大な欠点」であると指摘されたという。

 とはいえ、この本が唯一の情報源なので、盲信は禁物だ。もともと『プーチン、自らを語る』は選挙活動用の伝記であり、半自伝的な作品だった。厳選された3人のロシア人記者による一対一のインタビューを中心にまとめられたこの本は、プーチンのチーム・スタッフの手によって2000年春に刊行された。当時のプーチンは次期大統領候補ではあったものの、その人となりはあまり一般には知られていなかった。

 プーチンのチームの目的は、全ロシア国民に対する最初のアピールの舞台を整えることだった。この本はプーチン本人、彼の妻、少年時代や青年時代の知人へのインタビューで構成されており、紹介されるエピソードや新事実はどれも一定の政治的目的のために選ばれたものである。また、プーチンにインタビューした記者たちは、話の内容の一部を自身の新聞や雑誌の記事として発表した。

 とすれば、プーチンがそんな性格上の欠点を明かした目的とは何なのか? その答えは、この本の興味深い終わり方を読むとわかる。

『プーチン、自らを語る』の最後では、それまで彼の人生のエピソードをずっと聞いてきたインタビュアーが、プーチンのことを「単純で平凡な人間」だと指摘する。今まで、気まぐれで自由に行動したことなどないのでは?

 するとプーチンはある事件のことを話しはじめる。

 彼は大学生のころ、レニングラード郊外の道路で車を運転中、自分自身と同乗者である格闘技のコーチの命を危険にさらしたことがあった。プーチンは車の窓を開け、すれ違う農業用トラックに積まれた干し草をつかもうとして、危うく車のコントロールを失いかけたのだ。九死に一生を得ると、真っ青な顔をしたコーチが(たぶん内心怒って)プーチンのほうを向き、「ずいぶんと無茶をするね」と言った。プーチンはなぜそんなことをしたのか? 「干し草のいい匂いがしたからだろうな」とプーチンは言った。

 それが伝記本の最後の一文だ。読者は間違いなくプーチンのコーチに感情移入し、こう思うに違いない。「ちょっと待った。どういう意味だ? いったいこの男はどういう人間なんだ?」

 プーチン、そして彼のチームは、何通りにでも解釈できるような紛らわしい方法で情報を提示し、人々を操ろうとする。この話はその典型例である。同じ本のなかでプーチンは、矛盾するような話もいくつか披露している。たとえば、KGB時代に危険を察知する感覚が鈍いことを指摘されたという話の直後、大学時代(つまりKGBに入るずっと前)から彼自身も友人もそんなことはわかっていたと話している。

 そのようにして、プーチンは一定の自己像を作りつつも、同時に相手を惑わせようとする。「危険を顧みない男」というイメージと、「リスクは冒しながらも、いつも代替策を用意した計算高い人間」というイメージの両方を植えつけようとする。

 どちらが本当の彼の姿なのか?

 どちらのイメージにも一定の影響力と効果がある。プーチンの偽情報や矛盾する情報は、彼が理解不能で予測できない男、さらには危険な男というイメージを人々に与える。彼にとっては、それこそが国内政治や国際政治における「遊び」の一部なのだ。プーチンはいったいどう反応するだろうか――いつも相手にそう勘ぐらせ、時には恐れさせるのである。

「狂人理論」の実践者

 こうした意識的なイメージ操作、合理性や正気さえも疑わせる行動は、世界のリーダーの常套手段ともいえる。ベトナム戦争におけるリチャード・ニクソンの悪名高い「狂人理論(Madman Theory)」はその代表例だ。

 1972年、北ベトナムに脅しをかけて戦争終結の交渉のテーブルにつかせるチャンスと見ると、ニクソンは国家安全保障問題担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーに指示を出し、ソ連を介して「ニクソンは核兵器を使用する覚悟がある」というメッセージを北ベトナムに伝えた。ジャーナリストのジェームズ・ローゼンとルーク・ニクターは最近発表した記事のなかで、「ニクソンは、アメリカ大統領がまさに狂人だという印象をソ連に植えつけようとした。情緒不安定で、意思決定に一貫性がなく、何をしでかすかわからない男だ、と」とその作戦について解説した。

 当時首席補佐官だったH・R・ハルデマンは回顧録のなかで、ニクソンがすべての台本を入念に練っていたことを明かしている。ハルデマンによると、ニクソンは彼にこう言ったという。「これを狂人理論と呼ぼうと思う。戦争を終わらせるためなら何でもしかねない――私がそんな精神状態に達した、と北ベトナムに信じ込ませるんだ。“ニクソンは共産主義を根こそぎにしようとしている。いったん怒り出したらもう抑えられないぞ。しかも彼は核のボタンを握っている”というメッセージをこっそり伝えるのだ。そうすれば、ホー・チ・ミン自身も和平を求めてすぐにパリを訪れることになる」

お前たち、オレを見ろ、判断しろ。そして混乱するがいい

 実際のところ、プーチンが自分自身に関する種々の物語によって人々を誘導するのには、ニクソンより複雑な目的がある。彼の目的は、単に特定のイメージを植えつけ、“本当”のプーチンについて混乱を引き起こそうとするだけのものではない。そういうメッセージの最初の種が、誰によってどう運ばれていくのかを追跡することも目的の一つなのだ。

 もともとの物語がどう脚色され、巡り巡って自分のところにどんな形で戻ってくるのかを確かめたいわけだ。つまり、プーチン版の伝言ゲームである。不可思議な物語の種を蒔くことで、プーチンは相手が自分の言葉をどう解釈し、どう反応するかを確かめようとする。

 彼が注目するのは現実よりもむしろ人々の認識だ。プーチンの人間性や行動基準について知識を持たない人々がどう考え、行動するかを探ることは、彼の政治戦術にとって大きな利点になるのである。

 本書(『プーチンの世界』)の執筆を通してわかったのは、ウラジーミル・プーチンにとって大事なのは、情報が真実かどうかではなく、彼の言動を相手がどうとらえるかである、ということだ。プーチンにとって興味があるのは、特定の現実を伝えることよりも、その情報に対する周りの反応を確かめることなのだ。

 彼にとって、周りの人間は自分がコントロールするゲームの参加者にすぎない。彼が情報を選び、周りが反応を返し、それを評価する。情報に対する反応を見れば、相手が自分を何者だと考えているかだけでなく、相手の人間性、望み、関心までわかる。

 一方で、ウラジーミル・プーチン自身はほとんど情報を明かさない。むしろ、あらゆる手を尽くして、ほかのゲームの参加者を混乱させようとする。大統領や首相として、彼は実にさまざまなペルソナを見せてきた。2000年以降、プーチンは国際政治の場で究極のパフォーマンス・アーティストを演じてきたのである。(以上引用、ウェブにあわせ適宜改行)

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※『プーチンの世界―「皇帝」になった工作員―』より一部を抜粋して構成。

デイリー新潮編集部