終戦後、共産党幹部の釈放運動を開始した在日朝鮮人たち 驚くべき情報網と活動内容とは

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「共産党員を処置しないのは危険」

『東久邇日記』(徳間書店)によれば、内閣総理大臣の東久邇稔彦は、9月29日土曜日の午後5時より第一相互ビルで、マッカーサー元帥とサーザーランド中将と会談している。マッカーサー元帥が「ソ連、中国から近く日本人の共産党員が帰って来るはずだが、政府はどうするか」と質問したのに対し、東久邇総理は「私は内閣組織と同時に、共産党員を含む政治犯人を全部釈放することを命じたが、官僚の仕事でぐずぐずして未だに実行されていない。(略)共産党員に対して、なんら特別の処置はとらない。また差別待遇もしない」と答えた。元帥は「それは考えものである」と言い、「また参謀長は、『共産党員を処置しないのは危険ではないか』と言った」という。

 マッカーサー元帥は共産主義者など思想犯釈放には大変慎重であった。

「人権指令」発令

 ギランが訪れた山崎のアジトでは、どんなやりとりがあったのか。

「藤原春雄が立って、『徳田球一ら日本共産党の幹部十数人が、刑期満了となっても府中刑務所に拘禁されている。面接もはなはだ困難だ。なんとか救出したい。ギラン記者にも協力をお願いしたい』と話をむすび、ギラン記者と握手をした」(吉田・同前―山崎氏証言)

 一同はギランに、徳田たちの釈放への協力を要請したのである。

 彼らの意向を受けてギランは、徳田の居所の糸口をつかむと、同僚のジャック・マルキュース記者(AFP通信極東支配人)、米「ニューズウイーク」誌の東京特派員ハロルド・アイザックス記者に声をかけ、アメリカ占領軍の将校用の軍服を身にまとって10月1日、軍用ジープで府中刑務所に乗り込んだ。ギランによれば、

「『新聞記者だと淵曲げて(ぶちまけて)はいけないよ』と私は友人たちにいった。『公用を持ってきた三人のアメリカ将校のように振舞うんだ』」(ギラン・同前)

 そして一行は、

「ひとつの廊下の端まできて、途方もない大きな閂をかけて閉ざされた、高い入口の前に立った。『これはなんだ』と私たちはどなった。看守はおそれ入って震えていた。『この扉を開け給え』と私たちは命令した」

 中に入ると、

「『僕たちは共産党員だ……僕は徳田だ。僕は徳田だ』朝鮮人の顔をした二人の男が、ベンチの上に立ちあがって、インターナショナルを歌っていた。痩せた顔付きをした、ひとりの囚人が英語で話しかけて来た。『やっと、きてくれましたねえ。何週間も待っていました』それが志賀だった。徳田は私に話しかけて、本当とは思えないような次の言葉をいった」(ギラン・同前)

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