悠仁さまの「筑附高」進学、最大の懸念はご学友づくり? お茶の水では“特別扱い”

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陛下の高校時代のあだ名は「じい(爺)」

 そもそも悠仁さまが「皇族の定石」といえる学習院へ進まれなかったのは“自主自律”というお茶の水の校風を秋篠宮さまがお気に召されたからでもあった。が、さる皇室ジャーナリストが言うには、

「かりに学習院に進まれていたら、現在のような状況にはならなかったはずです。例えば、陛下は学習院高等科時代、盆栽に興味を示されたことから校内では『じい(爺)』というあだ名で呼ばれていました。クラスメートとはお立場が違うとはいえ、エスカレーター式の学校で学ばれながら、分け隔てなく生涯にわたる友情を育んでこられたのです」

 当時、学習院中・高の音楽教諭として陛下の授業を受け持った藤原義久さんが回想する。

「学習院は皇室の方々に接する機会に恵まれ、教諭や生徒の中には“皇族方をお見守りする”という意識を持つ人も多いでしょう。ただしそれは、できる限り自然に接しながら、ということだったと思います。陛下もまた、随分と鍛えられたのではないでしょうか」

「税金で買ったものだから大事にしなさい」

 実際に当時、こんなことがあったという。

「短くなった鉛筆を陛下が捨てようとされた時、周囲が“これも税金で買ったものだから大事にしなさい”と、たしなめたことがありました。少なくとも私たちは玉のように優しく接してきたわけではありません。皇族方は普段からさまざまな配慮を受けることが多い。だからこそ学内では、一般の生徒たちと同じように接しようというのが学習院の美風でした。学内には、生まれた時からすでに皇族であり、その宿命とともに生きていかれる方々への深い共感があったと思います。むろん、そうした方々との交流を笠に着るような者もおりませんでした」

 藤原さん自身も、

「私がよく陛下に申し上げたのは“名字のない家”に生まれたことの意味についてです。これはつまり、すべての名字や家が天皇家に連なっているともいえます。だからこそ、どこに行かれても“ただいま”といえるような家庭的な親しみをお持ちでなければならない。“日本各地に帰る家があるような感覚をお持ちください”というお話はいたしましたね」

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