元公安警察官が振り返る「悪魔の詩訳者事件」 バングラデシュ人留学生を逮捕できなかったのは“弱腰捜査”のせいだった

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 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、1991年7月に起きた「悪魔の詩訳者殺人事件」について聞いた。

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 1988年、イギリスの作家、サルマン・ラシュディ氏がムハンマド(イスラム教の創始者)の生涯を題材に書いた小説『悪魔の詩』を発表した。ムハンマドを揶揄するような内容だったことから、イランの最高指導者ホメイニ師は、著者と発行に関わった者に死刑「ファトワー(fatwa)」を宣告。ラシュディ氏はイギリス警察に保護された。

 ところが1989年6月、ホメイニ師が死去。ファトワーはホメイニ師しか撤回できないので、そのまま有効になった。1990年2月、ホメイニ師の後継者ハメネイ師が、ラシュディおよび発行に関わった者に対するファトワーは執行されるべきだと語った。

 そして事件は起きた。1991年7月12日、『悪魔の詩』の日本語訳を担当した筑波大学の五十嵐一助教授(44)が、大学内の7階エレベーターホールで刺殺されているのが発見されたのだ。

 五十嵐助教授の首には、頸動脈を切断する深さの傷が左に2カ所、右に1カ所あった。イスラム式の殺害方法で、胸や腹にも3カ所の傷があり、一部は肝臓に達していたという。

プロの殺し屋

「明らかに訓練を受けた、プロの殺し屋の仕業でした」

 と解説するのは、勝丸氏。

「犯人は、エレベーターを使わず階段で3階まで降り、そこから非常階段を使って逃走しています。非常階段は3階からあるので、建物の構造に精通していたと思われます」

 事件直後から容疑者が浮上していた。

「当時、筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人です。彼は、遺体が発見された当日の昼の便で成田から帰国しています」

 元CIAのケネス・M・ポラック氏は、著書『ザ・パージャン・パズル』(小学館)の中で、五十嵐助教授を殺害したのはイスラム革命防衛隊の特殊部隊「ゴドス軍」のメンバーとみていることを示唆している。ちなみにゴドス軍は、ハメネイ師の直属部隊だという。

「本来、バングラデシュ人留学生を警察庁はICPO(国際刑事警察機構)に捜査依頼すべきでした。『赤色手配(犯人の身柄を拘束)』や『青色手配(犯人の居所がわかったら通報する)』のどちらかは可能だったとみています」

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