コロナ禍で考える鉄道会社と“副業” 「東急ハンズ」「西武建設」にみる時代の流れ

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東急グループから「東映」

 こうした他事業によるシナジー効果によって多角的に鉄道事業の拡大を図る経営手法は、阪急・小林によって編み出された。そして、これらの集客戦略はほかの私鉄の模範になっていく。特に、小林の手法を最大限に模倣したのは東急・総帥の五島慶太だった。

 東急の五島は、ひたすら企業規模を拡大させることに邁進した。そのため、最盛期の東急グループは多くの企業が名を連ねていた。子会社レベルなら把握できたかもしれないが、孫会社や関連会社にまで範囲を広げると、東急社員でも把握できないほどの規模だったようだ。その総数は、400とも500社ともいわれる。

 五島慶太が1959年に没すると、息子の昇が東急の舵取りを担った。昇が最初に手掛けたのは、父親が拡大させすぎた東急グループの企業群を整理することだった。昇は、鉄道事業とシナジー効果が薄いと考えられる企業を次々と東急グループから離脱させた。

 このときに東急グループから独立した企業には、現在でも日本映画界では最大手に属する東映がある。

 比類ないレベルで拡大戦略を取った東急ほどではないにしても、日本経済が右肩上がりを続けてきた高度経済成長期やバブル期は多くの私鉄が異業種へと参入していた。

 東急と同様に、西武も巨大グループを形成した。西武は不動産業から事業を拡大して鉄道事業に参入したので、その成り立ちは東急と大きくことなる。しかし、総帥・堤康次郎は西武鉄道を掌中に収めると、事業を急拡大させていった。西武にとって鉄道は主業であり、成長の原動力でもあった。

 堤康次郎が死去した後、巨大グループは二男の清二が率いる西武流通グループ(後のセゾングループ)と三男の義明が率いる西武鉄道グループに分離。別々の道を歩むことになったが、池袋では西武鉄道と西武百貨店が並び、同じ“西武”を冠することもあって図らずもシナジー効果を発揮していた。

 鉄道事業とのシナジー効果が発揮されているとは感じにくいものの、本業の鉄道事業をカバーするほど大きな存在へと成長しているのが、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドだろう。

 同社は、京成電鉄と三井不動産による合弁会社だが、京成社長の故・川崎千春がアメリカから誘致を図ったことで東京ディズニーランドは開園へと漕ぎ着けた。こうした経緯もあって、オリエンタルランドは京成のグループ会社となっている。

 東京ディズニーランド&シーの最寄り駅となる舞浜駅はJR東日本の路線のため、入園者は京葉線に乗って来園する。それでは京成の利益には結びつかないが、ディズニーは京成にとって稼ぎ頭。また、京成のブランド価値を高めていることに寄与していることは誰もが認めるところだろう。

 鉄道事業ではなく副業で稼ぐビジネスモデルは、国鉄から分割民営化したJRにも模倣された。JR東日本は国鉄時代から駅ビル事業に参入していたが、民営化後にはショッピングセンター事業に本腰を入れるようになった。ファッションビル「ルミネ」は駅併設という立地的な優位性もあり、苦戦が続く百貨店業界では勝ち組となっている。

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